C6 終身雇用型社員の脱サラ
阪急電鉄㈱が国際航空旅客および貨物業務のため代理店部を設立したのは終戦後三年目の昭和二十三年であった。これはきわめて早い時期に海外旅行や国際輸送業務に進出した。私は二十七年秋に福岡営業所でアルバイトとして採用され、二十八年四月より、阪急電鉄㈱二十八年学卒社員として採用された。学卒者の本俸は職階制により車掌、運転手、助役、長助役、駅長などになるが、駅長は係長待遇と課長待遇とがある。
代理店部は昭和三十五年に㈱阪急国際交通社として独立、その後社名変更で㈱阪急交通社となったが、、電鉄に入社した社員は、出向となっていた。三十五年以降は阪急交通社として採用された社員と電鉄よりの出向社員との二種類の社員が存在し、四十三年三月の時点では二十八年に入社し社員は十六年間、出向したことになる。
出向社員の数が次第に減少、阪急交通社社員が増加、出向社員がいなくとも経営には支障がないと電鉄と労働組合との協議により出向社員の電鉄社員の身分返上となった。
これは阪急交通社の社員で電鉄の社員を希望するものは、電鉄へ復帰となり、また、㈱阪急交通社で引続き業務を行いたい社員は阪急電鉄㈱を退職となる。この際、社員の自由意志が尊重され、慰留は行われなかった。電鉄に復帰する社員は電車の運行関係は無理であるが関連会社は可なりあるので、仕事の方は心配がない。
私は米国の航空機メーカマックドナルド・ダグラス社から就職の打診があり、この際、航空貨物代理店から、航空機メーカーの航空会社へのコンサルタント部門の仕事をしたいと考え、阪急交通社を依願退職した。
阪急を退職して個人としての米国への就職であり、永住査証申請となる。拒絶される可能性もあり、また内定取消というのも想定されるが、うまくいっても渡米まで一年かかる。
阪急に残る場合は、私のポストは総務部事務機械課長兼貨物企画課長であるが、これは過度的なポストで、会社のコンピユータの仕事に専念することになるが、私の転職の武器となる[航空輸送経済の研究]というのが、いずれ消滅する。阪急は大阪が本社であるので、いずれ関西への転勤が予想されるが、知り合いがあまりいないため、この際、別の仕事にチャレンジすることにした。
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