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2008年9月

2008年9月 1日 (月)

ZE3 会社退職4年間 13 海外出張貨物ジェット機で

 昭和44年9月15日に、太平洋線に米国貨物専門航空会社フライング・タイガーが、週6便の貨物専用ジェット機ダグラスDC8-63Fの乗り入れを開始した。この日に同航空会社とProfessional Employment契約を行った。これは企業では珍しい雇用形態であった。
 専門職の社員契約で会社には定期的に出勤をしなくともよく、副社長よりの依頼事項を処理するマーケッチング担当となった。ボーナスは夏、1ヶ月分、冬2ヶ月分で航空会社の社員扱いで海外旅行の場合は運賃の25パーセントが適用された。専門職社員は米国では顧問弁護士、医師で日本では米国人の広報担当で複数の就職が認められている職種であった。
 私の業務は需要予測、貨物積取率の計算、貨物専用チャター機による海上と航空との総流通経費分析、各支店の貨物搭載重量レポート集計などであった。
 貨物セールスマンを管理するため、各セースルマン別に①訪問先、②訪問年月日、何時から何時まで、③訪問目的コードを、入力条件とする、販売管理のシステム開発であった。実際のコンピユータ処理は、顧問先の㈱中央電算研究所のお願いした。
  10
15日から18日まで香港、台湾に出張し、タイガー社員にコンピユータ処理によるセールスレポートの記入方法の説明をした。
  12月1日から8日まで米国ロサンゼルスの本社で、講習ならびに打合のため出張した。このとき航空と海上との貨物輸送での総流通経費分析で、日本海外旅行㈱に納品した200件のコンピユータファイルを持参した。極東総支配人より、私が開発した総流通経費分析について、本社へは事前に紹介されていた。
  45222日より24日まで台湾に出張し、総代理店社長リーフレド氏と同行し、米国の電気製品製造工場アドミナル・コポレーシヨンで、航空と海上との輸送経費分析作業の提案を行った。
  412日より19日まで米国ロサンゼルス本社に出張し、輸送経費分析で本社部門と作業を行い、計算方法を本社の担当者に指導した。極東総支配人、本社の専務、部長など6人のチームに加わりシカゴへ行きアドミラル・コポレーシヨン本社でプレゼンテーシヨンを実施した。説明はすべて本社の部長が行ったが、極東から分析の専門家を同行した旨の紹介が行われた。
  4512月7日より韓国の京城に航空貨物事情視察のため出張し、9日帰国し、翌日の10日に再び出国し、12日まで香港に航空貨物事情視察のため滞在した。日本より京城との間はタイガーの貨物ジェット機で旅行、次の旅行先の香港へはダイガーの貨物機の運行がないため、いったん貨物機で羽田に帰り、一泊して翌日香港へ出国した。
 これは航空貨物専門月刊雑誌[SPACE]の韓国、香港での航空貨物事情視察で、編集長中村正生氏と現地で落ち合い同行した。タイガ-は交通手段を無償で提供した。同社のマーケッチングを担当しているため、航空貨物についての市場調査にはきわめて理解があった。
 北米には3回、出張した。貨物機には操縦室と貨物室との間には通路とトイレットがあり、添乗員の座席が2席あった。私の米国への出張には貨物機に搭乗することが指示されていた。羽田からの出発には添乗員の座席に座っていたが、操縦室以外は暖房設備がないので、離陸すると機長より操縦室に入るようにいわれ、機長の後部座席に座っての出張となる。
 
羽田から北米ロサンゼルスまでは途中で、アリーシアン列島のコールドベイに着陸、ここで航空機の給油が行われるが、一旦、航空機より降りて食事をとる。米空軍基地であるので民間人はいない。約1時間後に搭乗、航空機はロサンゼルスまで、南下してロス空港に到着、タラップを降りると、入国係員が待ち構え、短時間で入国手続が完了する。
 
帰りはフライング・タイガーが米国空軍に提供しているチャーター旅客機に、航空会社の航空機繋留地点より搭乗、シアトルまでは250席ぐらいの客室では、乗客は私1人で、スチュワーデスが10人ぐらい搭乗していた。シアトルからベトナムへゆく軍人が乗り込んでくる。シアトルおいて機内で出国手続きを行う、アンカーレージ経由で帰国、航空機は横田基地に到着する。ここで入国手続きを完了し、帰宅する。
 
出国と入国では空港の待合室や免税店を通過しないため、煙草やアルコール類の土産品はなし。また操縦室ではアルコール類は厳禁であるので、一般の海外旅行とは趣を異にする。出張で貨物ジェット機に搭乗したのは7回で、延べ40時間ぐらいDC8-63Fの操縦室内の計器を見つめての旅行であった。私は14歳から18歳までは航空機乗員養成所に在学していたので、このような体験というのは、きわめて興味があった。

2008年9月 2日 (火)

ZE4 会社退職4年間 14 総合商社へマイコン販売

 46年7月にソニービジネスマシン㈱の特約店になり、10月より三井物産㈱業務部営業統括室の協力を得て、プログラムの開発を行いながら機械の販売を行った。総合商社においては輸出、輸入のコスト計算にFOB価格、CIF価格、保険料関税、航空や海上運賃、金利などが発生していた。私は兼業としてフライング・タイガー航空会社のマーケッチングを担当しており、海上と航空との貨物輸送での総流通経費分析の研究を行っていたため、総合商社の貿易関係計算には理解しやすい素地があった。また海外への事業計画プログラムの開発にも興味であった。コンピユータを納入した部門は次の通りである。                                 

  人事部、開発本部、鉄鋼総括部、鉄鋼線材部、鋼管部、非鉄金属総括部、非鉄金属原子燃料室、重機械部、化学プラント部、輸送機械部、船舶部、化学品総括部、繊維第二部、瓦斯炭素部、電気機械部、機械会計部などの本店部門、および名古屋と清水支店であった。

  三井物産㈱関連会社としての三井リース事業㈱東京本店に47年より5台納入し各支店が同じリース料計算プログラムを使用することになり、49年4月より機械を名古屋大阪、福岡および札幌に販売した。

  三井リース事業のプログラムは月額リース料の計算と期間損益計算明細でこのプログラムを開発した。三井リース東京本社管理室よりはリースの全資産、年度別、品目別に計算するプログラムが発注され、リース会社のシステムに明るくなった。

 三井物産業務部営業統括室の紹介で物産ロイヤル㈱、日本ハー㈱、社)日本ショッピングセンターにも機械を納入した。
 

ZE5 会社退職4年間 15 取引先JAL

二十八年四月に阪急電鉄㈱代理店部福岡営業所に就職した。営業所の所在地は福岡市東中洲で筋向が日本航空㈱福岡支店でその距離は約七十米であった。日航の国内線航空券の販売をしていたが、パンアメリカン航空の代理店として国際線の仕事もしていた。  四十二年に日航東京支店で収入管理共同研究会が設立され、私は幹事になった。これは日航東京支店の真野課長の提案による研究会で、事務局を担当していた今村耕太郎係長は福岡時代の知合であった。また当時の東京支店長は元福岡支店総務課長であったので良く知っていた。貨物関係では東京支店の部課長には阪急東京時代からの面識があり、日航の旅客と貨物部門に可なりの知合がいた。
  三十九年十一月より阪急交通社の関連会社JFCが国際利用航空運送事業協会の専務理事会社で、私は日航本社貨物部と航空混載貨物運賃設定で折衝したことがあった。四十三年に国際航空貨物需要予測委員会委員になった。このとき本社経営企画室長、貨物開発課長も委員であったので面識があった。
  四十六年六月十五日、インターライン・カーゴ・セールス会議で私が外部講師となりソニーのマイクロ・コンピユータでデモを行ったが、この時の会長は東京支店井上貨物部長で、これが縁でマイクロ・コンピユータを航空会社の運賃改定作業に使用されることとなった。四十七年に国際旅客・貨物の運賃改定で英ポントから円への換算で端数処理が面倒このためマイクロ・コンピユータでプログラムを組み、機械をレンタル形式で日本航空東京支店に提供した。
外国の航空会社と共同で運賃改定作業が行われ、これに必要な機械とソフトを日航側から提供された。 四十八年四月より日本航空貨物開発課とマイクロ・コンピユータのレンタル契約を行った。機械を提供しプログラムの作成方法を担当者に教えた。レンタル料金は一台につき月額五万円であった。本社では財務部会計課、経営管理部、営業企画部、貨物部開発課が機械のレンタル先であった。航空機パレット積付プランのプログラムを考案し、東京支店貨物部予約課にプログラム付きのマイクロ・コンピユータをレンタルとして提供した。
日本航空が国際線に進出したのは二十九年九月の福岡―沖縄就航以降でこの時代、国際線の仕事をしていた代理店は少なかった。日航の社員は国際線の業務を行っている代理店には関心があった。
 
私は日航福岡支店旅客課の田尻重彦氏の紹介で阪急に入社しており、航空局米子航空機乗員養成所出身で顔見知りの先輩が日本航空の機長になっている人もいた。

 福岡営業所に八年以上勤務したが、阪急交通社の東京、大阪勤務の社員に会うことは極めて稀で、仕事の関係で日航の福岡支店の社員に会う機会が多く、これらの社員で東京本社に転勤された人が多かった。

AF1 SOBAXソフト専門店 1 申請の背景

 四十八年四月一日、ソニーは新聞紙上で電卓部門の製造を中止し、電卓の製造から撤退する旨、発表した。四十七年秋に第一次石油ショックが発生、景気が落ち込んだ時期である。ソニーの電卓は十万円程度であったが、各社の電卓の値下げ競争が激化しているため、ソニーは製造ラインを電卓からVTRに切り替えたわけであった。
 私はソニーの特約店となり一年十ヶ月目であり、まったく寝耳に水で大変驚いた。特約店としてはVTRの特約店に転業するか、それともソニーの紹介で他のマイクロ・コンピユータの販売店になるかの選択に迫られていた。

 また、三月末で米国航空会社フライング・タイガーの社員契約が解除、ソニー倉庫㈱の嘱託契約も解除された。阪急電鉄㈱を依願退職したのは四十四年三月末で、満四年でSOHO業者としては、大きな山場を迎えることになった。
 ソニーのマイクロ・コンピユータはSOBAXICCー2700という商品名で、電卓と同じ生産ラインにあったため、マイクロ・コンピユータも製造を打切ることになった。見込みがない電卓製造からVTRに切り替えたが、私に
は映像ビジネスは向かないと判断し、マイクロ・コンピユータのプログラム作成業務をビジネスにしたいと考えた。

 他のマイクロ・コンピユータの販売店になるには供託金、ソフト開発のための機械の購入などの資金が必要であるが、その資力もない。またメーカーの撤退ということもあり得る。私はソニーマイクロコンピユータを五台保有し、ソフトウエア付きのレンタルを行っているため、ソニーの電卓部門からの撤収で機械の評判が落ち、契約が解除されることを警戒した。他の特約店がソニーのマイコン販売を中止したのに対して、私はソニーの在庫がなくなる迄、販売を継続することとした。

これは経営の意志決定においてソニーが見込みはないと判断した商品を在庫が無くなるまで継続して販売することは、通常の会社の意思決定には採用されないが、一名の零細企業においてソフトウエアの開発を専門にする場合は、これは一つのチャンスと判断し、撤退作戦の殿を勤めることにした。

損失が最も少ないところが生残れるというORにおけるゲームの理論を応用した。ソニーが発売したマイコンは三千台程度あり、消耗品の配達、プログラムの作成依頼も予想されるのでプログラムの作成を専門の行いたいという意志表示をソニーへ行った。

 ソニーにおいては統計や測量のパッケージプログラムがあり、一般の特約店はソニーで開発したプログラムで機械を販売していたが、ソニーの撤退後、一般ユーザーからプログラムの作成の依頼がある場合は、ソニーで開発されていない統計プログラムか、あるいは三井物産㈱で開発したような事務商業関係のプログラムであることが予想された。

2008年9月 3日 (水)

AF2 SOBAXソフト専門店 2 ソニーサービス㈱嘱託

 四十八年四月よりソニーが電卓部門からの撤収することになっており、私はソニーに対してマイコンのプログラム作成を専門に行いたい旨の意思表示を行った。

  プログラムを有料で支払うユーザーがどれだけ発生するか、どんな内容のプログラムが発生するかが不明であったが、ソニーの撤収作戦に協力することとした。他の特約店がこのサービスを行うには人員の確保のため、ソニーより定額の資金的な補償を取付けることが考えられるが、私はユーザーが支払うプログラム料金で経営を維持しようと考えた。他の特約店がソニーに、このようなプログラム作成の指定店を申請したかどうかは明ではないが、ソニー・マイクロ・コンピユータ・プログラム作成指定店という権利が与えられた。ソニーは全国の支店に連絡を行い、ユーザーからプログラムで料金を取ることが困難なものはソニー本社が引き受け、有料のところは私に廻されることになり、約二年間これが継続された。

  五十一年五月にソニーサービス㈱の嘱託となり、週に一回、ソニーサービス㈱の電卓修理部門に出勤し、ユーザーよりのプログラム依頼の受付を行い、坂本システム研究所でとしてソフトを作成、納品を行い、代金を回収した。

  ソニーが直接セースルした顧客に対して、私が機械を仕入れて納入するケースが発生、国家公務員共済組合虎ノ門病院、東京女子大学、東京工業大学、防衛大学、科学技術庁など官庁にも納品ができた。これは撤収作戦において「殿」を勤めたわけであるが、このためソニーとしては私の経営が成り立つように、このような形で支援された。

  私がソニーの顧客から電話がかかり、説明のため顧客に出向いた場合も、三時間を限度として一時間千二百円の日当が支払われた。ソニーサービス㈱の嘱託は十年間ぐらい継続された。全国で販売した機械を一括して修理している本部での嘱託であった。

  撤収したメーカーの機種の保守サービスというのは顧客からは喜ばれる業務である。マイコンの耐用年数は約五年であるので、四十六年に発売されたソニーのマイコンの買替時期は五十年頃からスタートすると予想した。

2008年9月 4日 (木)

AF3 SOBAXソフト専門店 3 依頼先

  四十八年四月よりソニー・マイコンSOBAXプログラム作成指定店として、ソニーより顧客の紹介をうけ、プログラムを開発し、納入したところは次の通りである。
帝都高速度交通営団 (減価償却)
国立栄養研究所(統計)、
東北大学医学部(統計)、
神戸女子薬科大学(統計)、

吉田工業㈱(統計)、

野村証券㈱(統計)、
山一証券投資信託㈱(統計)、
太平住宅㈱(統計)、

日本予防医学協会(検定)、

徳山機械㈱(技術計算)
㈱ニチイ(出店計画)

大東工業㈱(保険計算)、
日本ランデック㈱(リース)、
㈱レイク(金利)

トヨタカローラ和歌山(給与計算)、
などであった。
統計学は勉強していたが、プログラム作成指定店となったとき、大変役に立った。
 

AF4 SOBAXソフト専門店 4 航空機騒音証明

昭和四十九年四月に、ソニーより運輸省交通公害研究所を紹介された。航空機騒音証明プログラムの開発で、マイコンと騒音調整装置とを連結し、飛行場でテープコーダーに録音した騒音を騒音調整装置にいれ、マイコンで数値解析を行い、プリンタに印字させるプログラム作成を依頼された。
各国政府間で構成された国際民間航空機構ICAOで決定された航空機騒音を測定するための計算式のプログラム化である。これは日本で製造した航空機に騒音証明を発行するため、航空法を改定するための前提となるプログラムであった。
 
このシステムは米国航空機メーカーロッキード社で開発され汎用コンピユータで処理されていたものと思われるが、今回、ソニー機種を官庁に納入した騒音専門メーカーがソフト開発をソニーに依頼しソニーより私に廻されたものであった。
  官庁の予算は四十万円しかないと知らされたので、その額が見積並びに請求価格であった。計算式の説明は六頁にわる英文で今までに最も難しいソフトの一つであった。
ソニー本社が紹介している業者であるため、官庁よりの指名入札となった。一般に官庁に業者が取引をする場合は、株式会社組織が前提であったが、個人の資格で納入を行った。
 運輸省の研究所長が注目したのは、私が航空局航空機乗員養成所で航空機整備を学んでいたこと、米国貨物専門会社フライングタイガーの専門職社員やボーイング社の仕事等をしていた経験があり、航空産業と密接な関係がある経歴書で、研究所長はこの仕事は私にピッタリの仕事であり、このプロジェクトは将来、プラスになる実績であると激励された。

  五十年十月に㈱日本経営科学研究所の月刊誌「COMPUTOR REPORT」に航空機騒音証明プログラムをマイコンで開発する場合のプログラム作成方法を公開した。一般にプログラムは他社が真似すると自社のノーハウがなくなるが、これを私自身のノーハウとするよりもこれを一般に公開しておいたほうがプラスと判断した。活字にして内容を保存することを重要と考えた次第である。
 この航空機騒音証明プログラムは納品してその後、トラブルで一度も電話がかかったことはないので、順調に作動していたに違いない。

AF5 SOBAXソフト専門店 5 ゲームの理論

 ソニーが電卓部門からの撤退を新聞上で発表したのは、昭和四十八年四月一日であった。私はソニーシステム㈱の特約店で同社に対して、①在庫がなくなるまで販売継続、②磁気カードやロールペーパーなどの消耗品販売、③SOBAXマイクロ・コンピユータのソフト開発を行いたい旨、意思表示を行った。
 ソフトウエアは機械に付随するものと考えられ、ソフトウエアに代金を支払ユーザーがどれだけいるか、どんな種類のソフトが注文されるか?まったく未知数であった。
 特約店というのは機械の販売が基本的な業務で、同業者のうちでプログラムの作成を引き受けることをソニーに意志表示したものはないという判断をした。担当者の採用、ソフト開発用の機械の手当、メーカーよりの金銭的な援助はないという状況では私の提案が受理されると判断した。
  SOHO業者として一社一名の特約店は経営に必要な経費が少ない。これは同業他社が同じような提案を行った場合は、私のほうが有利であると判断した。ゲームの理論は損失の少ない手を採用することが、ゲームに勝つ方法とされている。
 福岡で旅行業務に従事してきた私は、東京貨物部に転勤した。航空混載貨物利益配分や運賃設定を研究した。業界で航空運賃の改定が行われ、業界全般で可なりの損失が見込まれたとき、私は[ゲームの理論]をご披露した。欠損するなら欠損する貨物を淘汰すれば損失は少なくなるという理論であった。これにより業界の運賃専門委員会に参加を認められ、色々な研究が評価されるのうになった。
  ソニーのマイコンは四十九年四月には販売が完了したが、私はプログラム作成ビジネスを続行した。六月ごろより、ソニーのマイクロ・コンピユータを使用して航空機材パレット積付早見表なるものを開発した。


2008年9月 6日 (土)

BF1 パレット積付早見表 1 開発計画

 昭和四十六年七月より、現在のパソコンの元祖といわれるマイクロ・コンピユータの特約店となった。販売した機種は本体がSONY SOBAX ICC-2700とプリンター EP71で一セットの価格は六十六万六千円であった。ソニーは四十八年四月に電卓部門からの撤収を発表し、ソニーマイクロ・コンピユータは四十九年六月に、完全に在庫ゼロとなったため、私が機械の特約店としては満三年間、従事したわけである。
 三井物産㈱にマイクロ・コンピユータを販売するときに、デモに使用したのは、航空機パレット積付計画であり、また日本航空㈱東京支店貨物部予約課にはレンタルとして、ソニー機種とパレット積付システムを昭和四十七年より提供しており、パレット積み付け計画ソフトの有効性はすでに証明ずみであった。
 ソニーのプリンターの特徴として、六糎の幅のアルミ箔のロールペーパーを使用し、文字としては、AS、それに数字だけであった。カートンのサイズで高さ、横、縦を、入力して、特定のパレットに積み付けるとき、一段目何個、積付コード、二段目何個、積付コード、パレットの高さの制限まで、積付を行い、合計何個積付けられるか、パレットの最大容積か計算して、どれだけの積み付けロスが発生するかの計算である。
 一段ごとの積み付けには、数字としては最大三桁、積付方法コードには、最大三桁で、一行には、数字では、八桁のスペースがあれば十分である。A3版の用紙の幅が四十二センチを台紙とすると、上段と下段にそれぞれ二十個の積付計算結果を貼り付けるようにすると、ロールペーペーの六糎を、二.五糎幅に切断して、台紙に貼り付ければ一枚の早見表ができ、これを、写植して製本すれば早見表ができる。
 航空機は米国製が多いので、単位は吋となる。容積は、立方糎でなく、立方フイートとなる。早見表としては、最小はどの程度か、また最大はどの程度かが開発のポイントになる。人が手で運べる一個の重量は二十五キロで、航空輸送での貨物重量と容積の換算比率というものが、カートンのサイズを決めるとき、重要な要素となる。

BF2 パレット積付早見表 2 カートモジュールの種類

 航空機に搭載されるパレットの種類は多いが、代表的なものに外法が88X125インチパレットがある。これに特定サイズのカートンを積み付けると、何個搭載できるか?この早見表の作成の話である。

  早見表を販売する時、1冊1万円の価格とすると、早見表の内容で1頁20個の分析で、200個で10頁とすると、コピーされるため、ビジネスにはならない。また120個の分析で1000頁となると、早見表の重さが1キロ以上になり、2000種類の分析は詳し過ぎて、使い方に不便となる。「最適解のカートンの種類」の決定が必要となる。
 まず、サイズの最小と最大を決める必要がある。人が運べる重量は25キロというのが一般的である。航空貨物の重量と容積との換算率はキロ当たり6000立方センチである。25キロの貨物は125,000立方センチで、これは53センチ立方の貨物で重量と容積どりの分岐点である。これを吋に直すと、21インチになる。
 今、高さを8吋~24吋(61糎)、縦を8吋~36吋(91糎)、横を8吋~48吋(122糎)のサイズのカートンを組み合わせると、8415種類のカートンモジュールが出来た。1枚の用紙に20種類の計算を記録し、説明などを入れると、470頁のパレット積付早見表ができる。これを11万円1で販売することにした。

BF3 パレット積付早見表 3 パレットの概略

航空機に搭載される八八吋X一二五吋パレットは貨物専用機DC8ー62F、63F、Bー707F、B747F、旅客機DCー10およびB747等に使用されている機材でこれに積付けられる貨物の外法は標準化されている。
  外法は縦が八八吋、高さが六○吋までは横が一二五吋であるが、航空機の胴体が蒲鉾型に丸みを帯びているため横幅が次第に細くなり、天井の高さが八四吋になると六○吋ぐらいになる。内法で縦と横は外法よりも四吋少なくなっており、高さは内法で八○吋で、内法容積は四四○立方フートである。
  マイクロ・コンピユータがどんな業務に向くかという検討の時に、航空と海上との貨物流通経費分析という金額的な計算のプログラムをデモ用として開発した。また、特定のカートンの貨物をパレットに搭載したとき、各段にカートンの縦と横を、どのような方法で積付ければ最大となるかの物的流通問題の計算のプログラムをもデモ用として開発した。
  四十九年四月ごろにはソニーのマイコンの在庫は殆どなくなった。ソニーの機械がもつ性能を活かしたシステムとして、航空機パレット積付早見表の制作に取掛った。

  早見表にはカートンサイズの高さが八吋より二十四吋まで、横が八吋より三十六吋まで、縦が八吋より四十八吋までのカートンを一吋間隔で組合せると八、四一五種類のカートンモジュールができる。各段ごとの積付方法と最大搭載個数を計算し、カートンごとの積付容積(立方吋)と積付ロスを表示、四五○頁に製本し、三百冊印刷した。この早見表制作のため機械を二台使用し、計算には約五百時間を投入した。
  計算機で印刷されたものをそのまま台紙に張付、数字の転記ミスを皆無とした。価格は一冊一万円とし、この早見表をコピー機械で複写した場合、複写して製本したほうが割高になるような工夫をした。
企画、システム設計、プログラム作成、機械操作、早見表の張付編集、説明書の英訳は私が行い、印刷製本は外注した。印刷費用は約百万円であった。 

 

2008年9月 7日 (日)

BF4 パレット積付早見表 4 宣伝広報

 航空と海上との貨物輸送方法比較などを英文業界紙で紹介してくれたJAPAN AIR CARGO NEWSの編集長に電話をかけ、今回、開発したパレット積付早見表のことをは説明したところ、早速、原稿を送れとのことで原稿を送った。  昭和49年8月10日のJAPAN AIR CARGO NEWSに一面に下記タイトルで紹介された。
 
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  Completed by Sakamoto for Sales
 英文業界誌であるので、国内および海外の航空会社、貨物取扱業者、荷主にも報道された。宣伝広告料は免除された。
 [日刊航空通信」にも電話をかけた。原稿を送れとのことで、詳しく内容を書いた。49年10月29日、30日、31日の3日間に、記事として掲載された。 宣伝広告料は免除された。
 上記2社の広告記事、英文早見表の内容については、私のホームページで[太平洋戦争と情報処理実務体験記」の中に、下記の論文集があり、これにリンクさせることにした。

[航空機パレット積付早見表の開発] 

 

BF5 パレット積付早見表 5 フイールトセールス

 昭和四十八年四月にソニーは電卓の製造を打切ると発表し、私はソニーマイクロ・コンピユータの在庫がなくなるまで販売を続行したが、当初の予想よりも早く在庫がなくなったのが四十九年六月であった。
 
コンピユータを使用しないで、情報処理を行うものとして、航空機パレット積付早見表の作成を開始した。このシステムは企画、プログラム作成、計算、英文作成、宣伝広報、フイールドセールスおよび代金回収は、すべて私自身が行った。
 四十九年八月十日に英字新聞「ジャパン・エアカーゴ・ニュース」にパレット積付早見表の発表を行い、また十月二十一日号、二十二日号および二十三日号の「日刊航空通信」に延べ七頁にわたり「航空貨物パッレト積付早見表販売 坂本システム研究所、販売方法に活用可能」と宣伝された。
  販売においては業界紙による宣伝広報を行い、頃会みて足でのセールスを行った。セールスマンとして私が直接、航空会社や代理店を訪問し販売した。貨物のセールスマンを対象としての販売で、会社の一括購入ではない。
このため航空会社のセールスマンに一冊づつ複数の人に販売した場合、会社としては一括して払込むため、誰が入金したか不明である。このため本が売れた順番に一円づつ値引きをした。最初は九九九九円、次は九九九八円となり、まとめて入金されても仕分けが出来るようし、販売においては売掛金の回収方法を考えた。
  納入したところは百パーセント振込が行われた。早見表を購入された会社は四十四社、合計百十五冊であった。航空会社と貨物代理店との数は百三社であったので、四割近い会社が購入された。早見表を購入された航空会社は次の通りである。エアフランス、エアインド、英国航空、カナダ太平洋、カーゴルクス、カンタス、キャセパシフィック、フライング・タイガー、ナシヨナル航空、ノースウエスト、マレーシア航空、パンアメリカン、シーボード航空、TMA、ワールド航空、エアアソシエイト台湾、ノースウエスト総代理店、日本航空および全日空の十八社。
航空代理店および荷主では次の通りである。日本通運、近鉄、交通公社、商船、三井、山下、新日本、川崎、大和、阪神、南海、名鉄、東急、ダイヤモンド、日本エメリー、東洋シャルマン、丸善、ニュージャパン、ノボ、東京エアサービス、マグレガースワイヤー、UAC、TAC、JAC、AGS、TACT、伊藤忠商事、ソニー倉庫、キャノン等。最後にキャノンを訪問、これで早見表の販売を終了した。これは早見表の販売よりも、よい仕事が見つかったためである。

 

2008年9月 8日 (月)

CF1 キャノンパソコン 1 パレット積付早見表が縁で販売店

四十九年秋、パレット積付早見表の販売で田町のキャノン株式会社輸出課を訪問した。担当者は一冊、早見表を購入された。このとき担当者から私はコンピユータが専門であるのでキャノンのパーソナル・コンピユータを売らないかと薦められ、キャノン販売㈱のパーソナル・コンピユータ販売部門へ紹介された。

その後、キャノンには二、三度訪問したがメーカーと関係を継続するには、まず機械を購入することであると考え、キャノンのパーソナル・コンピユータSX-100(価格約七十万円)を一台、購入した。

私は当時、品川のソニーサービス㈱の嘱託であり、ソニーより電話をかけて機械の購入の申込を行った。キャノンとしてはソニーのマイクロ・コンピユータの後続機種として私がキャノン機種を購入したことを評価された。

五十年七月一日付でキャノン販売㈱のパーソナル・コンピユータの販売店契約を行った。パレット積付早見表の販売は百十五冊で終了、回収金は百十万円で交通費を差引と荒利益ゼロである。早見表は三百冊を印刷、約百二十冊販売し、在庫は約百八十冊であったが、早見表の販売によりキャノン㈱のパーソナル・コンピユータの販売契約ができ、これに専念するため在庫百八十冊は数冊を残して、すべて破棄処分とした。

販売店はメーカーの第一次販売店になったほうが有利で、ソニーの場合も第一次販売店であった。零細業者はメーカーの第一次販売店になるのは困難で、第一次販売店の傘下の販売店になるのが通常であった。キャノンの場合は供託金を求められない第一次販売店となったので優遇された販売店であった。

  航空貨物分野の研究で独立したが、このパレット積付早見表の開発を最後に航空貨物分野の研究から撤退し、一般の事務商業分野へ進出することとなった。

航空貨物システム販売は羽田が國際空港であった場合は距離的にも近かったが成田國際空港ができ、セールスを行うには距離が遠く、また成田空港開設反対派の活動で空港施設を訪問するには訪問先からのアポイントを取付ける必要があり、航空貨物業務から撤退せざるを得なくなった。

 三十六年七月に福岡から東京貨物課へ転勤、五十年六月までの十四年間、航空貨物業務にタッチしてきたが、ここでパソコンを一般企業へ販売する業者となった。ソニーとキャノンのパソコンの販売が航空貨物のソフトを媒介してきたという特徴があった。

 キャノン販売㈱のパソコンを五十年七月より販売したが、平成三年ごろまで約十六年にわたりキャノン販売㈱のパソコン販売とプログラム作成作業に従事した。キャノンの販売店になった時点ではソニーサービス㈱の嘱託を行っており、ソニーに顧客からソニーマイコンの問合せがあると私はキャノン製品を推奨することにした。                   

    

2008年9月 9日 (火)

CF2 キャノンパソコン 2 長期金利計算が本命

五十年七月にキャノン販売㈱の販売店となった。ソニーはマイクロ・コンピユータの製造から撤収したため、顧客から後続機種を紹介してほしいという希望があった場合は、ソニーサービス㈱の嘱託である私に引き継がれることになる。紹介された会社はパイオニア㈱、日本ランディック㈱、()日本予防医学研究所などがあった。日本ランディックにおいては賃貸マンシヨンの収支計画、リース採算などのプログラムの作成を行った。この会社は新橋にあり、三井物産㈱本店の隣であった。

永妻寿氏は仙台航空機乗員養成所の一期生でパイロットであったが、日本航空㈱で電算機課長をしておられた。同じコンピユータの仕事をされていたため阪急在職中、日本航空本社に用があるときは、しばしば永妻氏を訪れていた。

四十四年春、私は阪急を依願退職したが、永妻氏も同じころ、日本航空を依願退職され、渋谷の道玄坂でシステム開発㈱を設立され、代表取締役となられた。

永妻氏の紹介でとみん銀行の子会社である「とみんリース」に五十二年四月にキャノンパーソナル・コンピユータを納入し、またリース採算計算、リース事業経理システム、償却資産申告、保険料計算、リース料請求システムなどを開発するようになった。

当時、フロッピィ・デイスク装置は一台一○○万円で、IBMゴルフボールタイププリンタは一台の価格は一二○万円であった。経理業務を行う場合のパソコン一セット価格は約四百三十万円であった。ソフトの開発では同じような機種を自宅に設置しておく必要があり、キャノンや販売店からプログラム作成作業を依頼されるケースが発生した。

在庫管理での部品展開、売掛管理、経営コンサルタントの部門別経理、抵当証券の経理、国家公務員共済病院連合会の病院医療経理などの開発があり、経理システムが業務の主流になった。  

五十二年夏に三井物産㈱非鉄金属総括部よりアルミ工場海外建設計画プログラムの作成を依頼された。総投資額が数百億円の大型投資プロジェクト計画はキメの細かい事例研究を必要とし、プロジェクト計画担当者が直接コンピユータを使用するケースが発生する。

  海外でアルミ工場を建設するには二十年先の計算も必要であった。アルミの製造に係わる約十五項目のコスト予測が行われ、これに基づいてアルミ販売基礎価格の設定が行はれていた。次に建設の資金計画、金利計算、返済計画、投資資産の減価償却、追加投資の減価償却現地会社の採算としての生産高、販売高、直接原価、創業費、一般管理費、投資控除、課税対象額、法人税、税引き後利益、キャシュフロー、借入金、追加借入金資本コスト、借入金返済計画が必要であった。

  また海外でアルミ工場を建設し、国内で原材料を引取るときは、国内での採算計算が行われた。この事業計画というソフトの開発はその後に展開されたホテル建設事業計画のソフトの開発では貴重な体験であった。         

  

CF3 キャノンパソコン 3 揺籃期のパソコンソフト

 昭和五十年七月よりキャノン販売㈱の販売店となった。阪急電鉄㈱を依願退職したのは四十四年四月であるが、㈱日本経営科学研究所のCOMPUTOR  REPORTという月刊専門誌の四十四年四月号、五月号および六月号に航空貨物の経済性の分析で執筆したことがあった。再び五年後の五十年八月号より五十一年七月号まで十二ヶ月にわたり、「マイクロ・コンピユータ・アラカルト」と題して執筆した。
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1名の零細企業においては通常の販売では成果があがらない。マイクロ・コンピユータがどんな業務に使用されていたか?機械の販売業者として、またソフト開発業者として、コンピユータ専門誌に連載した。順序不同で執筆したため、一品料理という考えで、タイトルも「マイクロ・コンピユータ・アラカルト」とし、二十六事例を紹介した。これを分類して紹介することにした。
 昭和五十年というのはマイコンが出現して四年目であり、パソコンの揺籃期でもあったので、この時期の事務商業関係ソフトの記録を活字に残すためにも執筆した。パソコンが爆発的に売れた出したのはWindows95からである。この連載記事は1975年~1976年に発表されたものでWindows95の出現の20年前の記録である。
[航空産業]
  一 航空機騒音証明(運輸省)
  二 航空貨物市場調査検証用計算
  三 航空機パレット積付個数計算
  四 利益差異分析(日本航空)
  五 チャーター機スペース販売価格
 
六 航空運賃改定作業
  七 関税部分申告計算
  八 空港グランドサービスのシフト編成
[総合商社・リース会社]
  九 木材容積計算 
一○ 真鍮ロール板の切断計算
一一 輸入南洋材CIF 
一二 輸出鉄鋼線材FOB
一三 輸入生糸コスト 
一四 輸出自動車FOB
一五 輸入錫の標準価格計算
一六 DCF計算
一七 分譲マンシヨン価格試算
一八 プラント売上目標設定
一九 リース採算計算  
二○ レストラン出店の売上目標
[その他] 
二一 統計計算  四元一次回帰式 
二二 三変数の重相関計算
二三 給与計算   
二四 賃金体系調整 
二五 カタ式気流測定
二六 銀行借入実質金利計算
なお詳細については、下記をクリックされたい。

[マイクロ・コンピユータ・アラカルト] 
   

                

2008年9月10日 (水)

CF4 キャノンパソコン 4 JALからTDAに紹介

日本航空㈱財務部会計課にパソコンのプログラム開発の指導を行っていたが担当者より、東亜国内航空(TDA)(日本エア.システム、)ではホテルに計算業務を行っているので、パソコンの話をされては如何という提案をうけた。
東亜国内航空㈱本社は虎ノ門の第十八森ビルの四階にあった。担当者からの情報であり、正式な紹介を受けたわけでないので会計課長の名前が不明であったが、乗員養成所の本科四期生の大石博司氏が整備部次長になっていたので、課長の名前を尋ねて面会を求めた。
同社には大手コンピユータ会社がセールスを行っていたが、六ヶ月後、経営管理室および財務部会計課に、それぞれ一台づつ機械をレンタル形式で納入することができた。プログラム作成の方法を個別に教えた。
これにより可なりの数の担当者がプログラムを組むことが出来た。航空会社の路線別分析はフライング・タイガー航空会社や日本航空での経験からその内容を知っていたため、OD統計など参考となる分析法を紹介した。
  OD統計というのはOrigin(出発地点)とDestination(到着地点)間の距離、旅客数または貨物重量、航空運賃の分析で、航空会社の経営管理においては基本的な分析手法であった。、

CF5 キャノンパソコン 5 航空会社からホテルへ

四十七年に三井物産㈱の紹介で、渋谷区NHKの近くのジローレストラン・システム㈱にソニー・マイクロ。コンピユータを納入、ソフト開発の継続的な指導を行っていたが、このジローの紹介で東京第一ホテル㈱企画部とレストラン関係レシートのデザイン作成で取引が出来るようになった。
 五十三年に
東京第一ホテル㈱企画部は新橋の本社ビル改装工事のため、臨時に虎ノ門の第十八ビルの四階に移転していたが、このビルの四階、五階及び六階は東亜国内航空㈱本社が使用していたため、同航空会社に用があったときは、ついでに第一ホテル企画部を訪問した。 
 東京第一ホテル本社の改装工事が終了し企画部は新橋に移転した。新橋の東京第一ホテルの地階には、阪急交通社の旅行案内所があり、阪急の東京営業本部も新橋にあり、東京第一ホテルは阪急とは密接な関係にあったため、阪急に勤務していたということと、東亜国内航空本社に機械を納入し、ソフト開発を教えていることがビジネスにプラスであった。
 東京第一ホテルは五十四年二月に私からキャノンのパソコンを購入され、チェーィンホテルの十五年間売上計画およびホテルの損益比較計算プログラムの開発を依頼された。航空貨物のソフト開発の仕事が終わり、これを機会にホテル・レストラン関係のソフト開発に転向することとなった。

2008年9月11日 (木)

DF1 パソコンプログラム開発 1 三色XーYプロッター接続

四十六年末より七年間継続していた三井物産㈱本店には二十台以上納入したが、需要も限界に近づいたので、一般会社のソフト開発に転向した。会計経理システムをキャノンのBXー1で開発していたため、キャノンから顧客を紹介されたケースが五、六社発生した。
  商品取引会社にキャノン販売店が売り込み、商品取引プログラムを私に外注するケースも発生した。商品取引に三色XーYプロッターで各商品の高値、安値、寄付、大引のデータをフロッピーディスクに登録し、移動平均、三日、六日、一二日、二四日、四八日の荷重平均、複合平均、人気度測定、これらの数値を赤、黒、青の三色を使ったXーYプロッターで打ち出すソフトの開発を行った。縦九○糎、横六○糎の方眼紙に罫線とグラフをプリントし、高値、安値を色でわけたたり、髭を作ぅたり、塗りつぶしたりするプログラムであった。コンピユータ本体が二十キロの重量に対してXーYプロッターは四百キロの重量であった。機械を所持しないため作業はその会社へ出向いての作業であった。
  取引先が大手企業から税理士、電子部品組立業、弁当調理工場、中古車販売業の処理プログラム開発ならびに機械販売に移行した。経理、在庫管理の業務処理が多くなった。

DF2 パソコンプログラム開発 2 JALよりレストラン関係紹介

    三十六年七月に福岡営業所より東京貨物課に転勤した。航空と海上との輸送要因分析研究のため有楽町のパンアメリカン航空会社貨物部に出入りしていたが、そのとき知合となったのが本間昭治氏であった。その後、本間氏は日本航空㈱へ入社された。
  四十七年に本間氏は日本航空㈱管理部貨物担当主任教官になり、その後、貨物部開発課長を経て、関連会社日本航空開発㈱の子会社、IFCに取締役として出向された。この会社は日本航空関連会社として、海外のホテル内レストランの経営管理を行っている会社で、売掛金管理のためキャノンのパソコンを購入された。売掛管理プログラムは本間専務が開発された。日本航空の主任教官時代にソニーマイコンでプログラムを組まれていたので、これが可能であった。
  この日本航空関連会社IFCが経営しているレストランに銀座弁慶があり、このレストランの内装工事を請負ったのが㈱エクス・ブレーイン・インダストリーで代表取締役社長は三木正也氏であった。 
 五十三年秋に三木社長はIFCに設置されたキャノンのパソコンをみて即座に機械の購入を決定された。最初に開発したのはホテル・レストラン内装設計工事専用期日管理経理システムであった。これは大変好評で以後二十年にわたり、各種のソフト開発を受注することができた。

DF3 パソコンプログラム開発 3 第1回マイコン利用国際会議

  五十三年十一月十四日より十八日までの五日間「七八国際マイクロ・コンピユータ・アプリケーシヨン・ショウ」が、東京都立産業会館で開催された。主催は日刊工業新聞社、社団法人日本電子工業振興協会、後援は通商産業省、科学技術庁であった。
これは第一回の[IMAC 78]という名称の國際会議で、会費は三万円、報告者は無料、講師料は一万五千円であった。約七十人が報告を行った.ビジネス部門ではチェヤマンとして矢矧晴一郎氏(日本タイムシエア)、報告者として次のような報告が行われた。
戦略的計画立案へのマイクロ・コンピユータ(略称マイコン)の応用
報告者 矢矧晴一郎(日本タイムシエア)
労働力対策としてのマイコンの応用
 報告者 奥村栄太郎(石川島播磨重工業
航空産業、総合商社ならびにリース会社等におけるマイコン使用の実態
 報告者 坂本清助(坂本システム研究所)
 この会議に私が選ばれた理由は、チェヤマンである矢矧晴一郎氏はかって富士銀行に就職されており、これより十年前の四十三年二月、旅行業界専門誌、トラベルジャーナルで時局座談会として「航空産業におけるORとは何か」という議題で日本航空、西鉄、阪急、日本交通公社、日本通運の担当課長五名が出席した。そのとき外部から座談会に招聘したのが富士銀行調査部調査第一課副長の矢矧氏であった。そのとき初めて矢矧にお目にかかった。
  パネル・デスカシヨンであり、一人の持ち時間は二十分である。報告内容は事前に事務局へ文書で報告し、事務局ではこれを製本し、出席者に配布されていた。
  五十三年でレストラン関係では㈱新宿中村屋の笹塚本社工場の構内に㈱ハピー・モアがあり、レストラン・チエーンの給与計算、食品材料展開、各レストランの月次収支計算速報などのプログラムの作成を依頼された。
私のプログラム開発の主流が経理システムとホテル・レストラン部門に絞られてきた。汎用コンピユータメーカー、富士通、東芝などがパソコン市場に乱入したのは五十四年であった。パソコンのモデルチェンジは同一メーカーで約十八ヶ月であり、新機種が発表されると、新旧機種間での互換性に乏しいため、プログラムの作成には機械を新たに購入しなければならず、またプログラムの作り直しが発生した。
 このため販売の対象となる業種を絞り、その業種での専門家になる必要性を感じた。色々なプログラムの開発から特定業種のソフト開発の必要性を感じていた。航空貨物は、税関のシステム、海外旅行は予約管理システムが中心で、個人企業が手をだせるソフトでない。しかしながら、個人として航空と関連するソフトウエア開発はホテル関係であるという認識を強くしていた。      

      

DF4 パソコンプログラム開発 4 第2回マイコン利用国際会議

  五十五年七月八日より十日までの三日間、「八○国際マイクロコンピユータ・アプリケーシヨン・シヨウ」が東京大手町の農協ビルで開催された。主催は日本電子工業振興会、後援は情報処理学会などの約十六団体ですべて社団法人であった。
これは第二回の「IMAC 80」という名称の國際会議で会費は三万円、報告者は無料、講師料なしであった。約八十名程度が報告を行った。ビジネス部門のチェヤマンは前回と同じく矢矧晴一郎であった。次のような報告が行われた。
マイクロ・コンピユータ(略称マイコン)による経営戦略・計画・管理の総合 シミュレーシヨン
 報告者 矢矧晴一郎(矢矧コンサルタント)
工場総合管理システムにおけるマイコンの応用例
 報告者 奥村栄太郎(石川島播磨重工業)
オフイス・オートメーシヨン機器のマイコン制御
 報告者 関谷邦彦(東京芝浦電気)
マイコンの商業部門への応用、十年間のうちのこの二年の特徴
 報告者 坂本清助(坂本システム研究所)
  以上四名が、報告者となった。 私は前回で開催されたと時でのプログラム開発とその後、二十ヶ月経過したその時、どのような変化があったかを紹介した。
  国際会議において出席者より会費を徴収するが、講演の内容については事前に原稿を事務局で提出しているので、一冊の本として参加者に手渡される。このためその時の資料により、私が五十三年十月頃より五十五年五月頃まで、何をしていたかが判明する。この二年間の開発例として、次のような記載があった。
  ミニフロッピーディスク・システムの開発により、ビジネス部門においるマイコンの販売は、零細企業にも可能となった。
 1 電子製品組立工場でのシステム 
 2 電気工事店見積計算システム
  3 レストラン商品販売傾向分析
 4 レストラン給与計算
 5 ホテル収支計画表 
 6 アルミ工場海外建設計画
 7 航空会社経営管理 
 8 会計経理システム
 最後に紹介したのはエクスブレーイン・インダストリー社とで共同開発したホテル・レストラン工事設計施行会社の会計経理システムであった。 開発したシステムを同業者へ紹介することはソフトウエア会社ではノーハウの流失である。このような国際会議で自社の経験を披露する会社は少ない。私は次の展開のため研究事項を活字にして記録していることは重要と考えた。                        

IMAC78&80マイコン国際会議

DF5 パソコンプログラム開発 5 他社の紹介でソフト開発

 昭和五十年七月、キャノン販売㈱とキャノンパソコンの販売店契約を行った。五十二年より五十五年までの期間で、開発を行ったところは下記の通りである。
番号 プログラム   
 
 医療経理--国家公務員共済組合連合会 
 
二 部門別経理システム--㈱吉川経営研究所
 
三 スクリーン製造部品展開--㈱キクチ科学研究所
 
四 抵当証券経理--日本抵当証券㈱
 
五 期日管理経理--㈱エクスブレイン

六 商品取引X-Yプロッター-商品取引会社
 七 レンズ製造会社経理--㈱リケン工業
 八 税理士経理--丸山税理士事務所
 九 自動車会社経理--東京オート㈱ 
一○ 電子部品展開 ---奥原電気㈱ 
一一 電気工事配線見積--㈱野中電業社
一二 レンズ在庫管理--㈱リケン工業
一三 給与計算         
一四 スクーリン在庫管理--㈱キクチ科学研究所
一五 中古車在庫管理--東京オート㈱
一六 開発商品価格見積計算 
一七 貸借対照表、損益計算書
一八 レストラン・レシピ--㈱ハピーモア
一九 売上動向分析      

二○ 予算管理        

二一 ホテル経営比較--㈱東京第一ホテル
二二 ホテル十五年売上計画 

二三 期日管理システム--キャノン販売㈱
二四 レストラン売上動向分析--㈱ハピーモア
二五 レストラン経営管理  
 ソフト開発には、専用のパソコンを保有しておく必要があり、このため同業の販売店から、ソフトウエアのみの納入を依頼されるケースも発生した。


2008年9月12日 (金)

EF1 東京第一ホテル 1 稼動試験 福岡第一ホテル

  五十六年十月、新橋に本社がある㈱東京第一ホテル企画部より、ホテル・フロント会計のプログラム作成を依頼された。五十四年にキャノン・パーソナル・コンピユータBXー1による新規ホテル建設のための十五年間ホテル営業収支計算プログラムの作成を行ったことがあった。 

  キャノンにおいては五十六年春、スモール・コンピユータCXー1が発表され、この機械によりホテル・フロント会計のプログラムの作成を行った。プログラムは従来までの機種BXー1と同じくBASIC言語であった。約四ヶ月でフロント会計のプログラムの作成は終了した。パソコンを都市ホテルのフロント会計の業務処理に使用するのは、これが最初のケースであると思われる。

 実際にホテルに機械を設置してテストすることとなった。最初に選ばれたのが福岡市東中洲のある第一ホテル福岡で、客室規模は二百二十室であった。仕事を行うとき土地勘は重要であり、このホテルの二百米以内に、阪急に勤務していた当時の福岡営業所があり、また宝塚会館があった。この宝塚会館には東宝関係の映画館が四館あり、私の実弟坂本利彦が勤務していた。三十三年に弟は自衛隊を退職し、阪急福岡営業所の安藤昌彦氏の紹介で東宝映画の関連会社九州興行㈱に入社していたが、それから二十年後、このとき東宝関係劇場四舘の総支配人になっていた。

  東京第一ホテル企画室の山田主任と一緒に福岡へ出張し、現地でフロント会計の導入テストを行った。このホテルに五年前から導入されていたのが日立製品でHITAC10というオフコンで、そろそろ機械の買い替え時期になっていた。

  四月の最初の一週間出張し、私は東京へ帰り、第一ホテル企画室の担当者は福岡に残った。ホテルのフロント・システム作業は深夜作業になるため、四月末の出張ではアルバイトとして青山学院大学経営学部に在学していた次女佳子を同伴した。フロント会計の業務はホテルで深夜の業務となるため、宿泊は第一ホテルに宿泊した。

  現在、使用中のコンピユータとテストのために設置したキャノン機種との二種類の機械で同じ結果を求める併行作業に、同じ人員で処理することは非常に難しい作業であった。四月末であったので連休に入った。導入テストは終了した。

 この時代、パソコンでホテルのフロント会計を納入したのは前例がなく特に、記憶容量が少ないフロッピーデイスクを使用しており、ハードウエア的にも無理であった。結果的には二百二十室のホテルでのパソコンを導入することは困難で、新規ホテルは導入しやすいが現在、他の汎用コンピユータを使用している会社で、機械とソフトが異なるとき、同じ結果を求める併行作業というホテル側の要求が無理であった。 

 

EF2 東京第一ホテル 2 導入調査米国グアム第一ホテル

 ㈱東京第一ホテル企画部と共同で開発したフロント会計プログラムを最初にテストしたのは第一ホテル福岡であったが、次の導入先として米国グアム第一ホテルが選定された。
  五十七年六月二十九日、第一ホテルの山田主任と第一ホテルグアムへ出張した。四十六年十一月に米国へフライング・タイガー航空会社の出張で渡航したのが最後で、十年ぶりの海外業務出張であった。
  コンピユータを納入するホテルは米国であり、キャノン販売㈱は日本国内に限定された販売会社で保守面では可なりの制約があったが、前向きで対処することとした。ホテルにはコンピユータを一台設置し、残り一台を予備として、故障した場合は航空貨物として東京へ修理に依頼するということで、予備の機種を使用し、保守面はこれで対応することにした。
  プログラムの開発のための客室タイプ、レストランなどの科目の調査などを行っていたが、グアム島は電力事情がきわめて悪く停電が非常に多い。停電が発生した場合、自家発電装置が作動するような設備をホテルでは採用されていない。このため何か停電対策を講ずる必要があった。
  グアム第一ホテルのフロントは通常のオフィスではなく、吹き曝しで海岸からの潮風に晒されるので、機械が錆びやすいという懸念があり、故障しやすいということが現地調査で発見された。色々な点を考え、最終的には導入が見送られた。
  グアムには新しく阪急の事務所が開設されたので、ハワイから阪急米国の社員二名がきていた。一人はAPL汽船神戸支店旅客課に勤務していた宮本茂氏であった。私は阪急福岡においては米国行きの移民の手続をしており、神戸以西ではAPL汽船での予約数は最も多く、宮本氏には色々お世話になっていた。この宮本氏にお願いして、三十三年七月に神戸から横浜へAPL汽船クリーブランド号の一等船室に無料で乗船させてもらったことがあった。海洋航路には一般の人は乗船できないが、代理店として北米への永住渡航者の渡航手続をしていたため、特別の計らい乗船させてもらった。
私の阪急退社後、宮本氏は米国阪急交通社に入社、ハワイ在住の副社長となった。他の一人は阪急に入社したときの同期生の武井二郎氏で社長であった。この二人と懇談した。
  ホテルのシステムというのが一般のパソコンセールスと異なり、広域であったのはチエィンホテルの第一ホテル企画室との共同によるシステム開発であったためである。
  ホテルでのコンピユータの開発が最初に福岡、次にグアム島であり、導入の仕事で旅行が発生していた。最初の段階は二つのホテルとも導入は成功しなかったが、出張に要する旅費と日当は補償された。実際の導入は新規に設立された富山と筑波のホテルであった。

EF3 東京第一ホテル 3 富山ホテルへ機械&ソフト納入

五十七年十月、富山市の中心部に東京第一ホテル富山がオープンした。客室数百十五室、レストラン四店舗、宴会施設があるシティホテルである。東京第一ホテル本部開発部に勤務されていた堀江調査役が、ホテル富山の総支配人であった。
   北陸地方であるため十一月頃より雪が降り、保守その他で出張するときは、富山空港が積雪のため閉鎖される場合は、小松空港から金沢へ出て、列車で富山へ行くこともあった。

  東京第一ホテルでの第一号フロント会計納入は富山であった。プログラムは順調に作動したがプログラムの納入、保守作業は深夜勤であるため、割合疲れる仕事であった。  

耐用年数は五年であり、プログラムおよびデータが五・三吋のフロッピーディスクに格納されているために磨耗し、読み取り困難になることがあり、このため現地への出張が発生した。機械のリース期間、五年間で富山には五回程度は出張した。一回の出張費は五万円、交通費は実費であった。

EF4 東京第一ホテル 4 筑波ホテルへ機械&ソフト納入

 五十八年三月に東京第一ホテル筑波がオープンした。レストラン、宴会施設があるシティホテルで、客室数は百二十六室であった。機械とプログラムを納入した。筑波科学博覧会は五十八年三月十五日に開催されこれに合わせてオープンされた。三月十二日より天皇陛下(昭和天皇)や皇太子殿下が、最初に休息されたホテルで、一般には三月十五日からの予約受付となった。

  上野から列車で常磐線の牛久駅に下車し、タクシーでホテルへ入ったが、保守その他で五年間で延べ十回程度出張した。深夜業務が殆どであるため、一般には知られていない夜間でのホテル会計業務にはかなり精通するようになった。

 

EF5 東京第一ホテル 5 その後の納入先 

東京第一ホテル富山および筑波への機械およびソフトの納入が終了すると、あとは保守サービスを行うわけであるが、これで第一ホテルでのソフト納入は終了した。新規に第一ホテルにフロント会計を納入するときは、一応、ソフトが出来上がっており、新規開発部分が少ないので一つのホテルへの荒利は約六十万円であった。採算的にはよいビジネスではなかった。

  ホテルは日曜日も祭日も稼動し、また一日二十四時間稼動であり、深夜でも電話が掛かるることが多いため、誰かこれに対応出来る社員が必要となり、一般のコンピユータ・ソフト会社では営業が困難であるのがこのホテル・フロント・システムであった。
第一ホテルのチーエンで積極的にホテルを紹介された時は、セールスが可能であるが、他社への納入の場合は、システムが異なるため、手直しが多くなる。第一ホテルのソフトウエアという版権に抵触しない独自のシステムを構築する必要性があった。
 東京第一ホテル筑波に納入して、五年後、京都第一ホテルの在庫管理のソフト開発を受注した。フロント会計システムは富山と筑波の二ホテルのみの納入となった。

2008年9月13日 (土)

GF1 パソコン活用ビジネス 1 トータル・ホテル・コンピユータ・システム開発

  ㈱エクスブレーン・インダストリー(今後、EX社と略称)は赤坂に事務所があり、五十四年四月にキャノン機種を納入し、ホテル・レストラン工事会社としての会計経理、業績評価、給与計算、建設工事積算システムを開発した。この会社は英国のトラヴェル・ロッジというホテル・チエーンの日本での総代理店を計画されていた。
 
 五十七年十月に東京第一ホテル富山がオープンしフロント会計システムを納入したが、その前月の九月にEX社よりチェインホテルの展開に必要なプログラムの開発を打診され、私は提案書を提出した。

  ホテルでどの程度、コンピユータ化が行われているかのホテル・レストラン関係の業界雑誌の調査内容を見ても、大型コンピユータを対象としたシステムであり、また実際のホテルの担当者に話を聞きに行っても必要な情報は得られないため市場調査を行わず、私が考えたものを提案した。

 ホテル・レストラン工事の設計会社であるためホテルの建設並びに運営に要する費用を中心とする事業計画が最初のソフトとして提案した。
  総合商社における海外のプラント建設の事業計画、リース会社で体験したマンシヨン建設、販売の事業計画、貸ビル事業計画、リースの期間損益計算、ホテルの建設十五年間収支計算、EX社の経理システムを考慮にいれて、独自のシステムを構築し、五十八年三月には納品した。

    ホテル建設の事業計画では航空会社がこれを行う場合は航空旅客を重要な宿泊客と考え、宿泊収入が詳しい事業計画となる傾向にある。ホテル・チェーン業者の事業計画では収入源となる客室種別、レストランの種別、客単価これに要する経費、建物を建設したときの資金、借入金の返済計画がノウハウとなる。建設業者で特に内装工事会社の場合は、建設に要する設備の明細が詳しくなる。

  税理士や公認会計士などが、ホテル建設の事業計画を作成した場合は、減価償却計算や各年度によって発生する損益が税法上、処理されているかを重点として、各々の分野で自己のノウハウが主張される。

   ホテルでの事業計画の経験に、総合商社やリース会社での経験が付加され、またリース会社のノウハウである減価償却や、総合商社の資金調達や借入金の返済計画、運転資金の借入と自動返済、部門別損益計算を念頭においた。

 EX社が経営者より入手した経営情報、建築業者としての建設積算の情報、EX社の会計経理のコンピユータ化での勘定科目の設定などを考慮にいれた。システムを納品するEX社長の考えと共鳴できるシステムでないとプログラム料金は支払われない。事業計画のソフトの出来ばえが次のソフトは発注に結びつく。ソフトの発注は口頭で行われることが多く、先方の話を理解することが重要であった。

 その後、ホテルを対象とした会計経理、予算管理、フロント会計、客室予約管理、在庫管理、償却資産管理、料飲管理、宴会予約、セールスマンの業績管理であった。これらのシステムを総合して、トータル・ホテル・コンピユータ・システム(THCS)という商品名で、EX社は販売を行うこととなった。   

GF2 パソコン活用ビジネス 2 旅行業界誌への広報

    五十八年四月にEX社はホテルチエーン展開のための顧問として志賀景昭氏を採用した。私が開発したホテルパソコンソフトをホテルに詳しいコンサルタントの目で監修することとなった。

   海外旅行の自由化は三十九年四月で、旅行業界専門週刊誌「トラベル・ジャーナル」は三十九年正月に海外旅行自由化二十周年記念として自由化の歩みの特集を別冊として発行した。この特集号にEX社で開発したTHCS(トタルホテルコンピユータシステム)の全面二頁広告が掲載された。

    五十九年二月中旬、この雑誌社を志賀氏とともに表敬訪問した。この時、森谷社長より二月下旬に私の知合の中村正生氏が編集局長兼編集長に就任することが伝えられた。  トラベル・ジャーナルの記事の中に私の名前があるものを拾うと次のようなものがある。
  四十三年三月四日号トラベル・ジャーナル主催「業務合理化懸賞論文」優秀賞
航空セースルとコンピータリゼーシヨン
坂本清助(
阪急交通社事務機械課長)
国内航空券の諸問題とその対策 
馬原 孝(西鉄航空営業部旅客係長)

 
四十三年三月四日号時局座談会「航空産業におけるORとは何か」

  日本航空、日本通運、日本交通公社、阪急交通社、西鉄航空、富士銀行の社員が出席、富士銀行からは矢矧誠一郎氏が出席した。司会は中村正生氏であった。 

  四十四年一月六日号新春コンピユータ対談で近畿日本ツーリスト㈱の佐野俊夫氏と阪急交通社㈱事務機械課長であったが、この対談は中村氏が司会した。
私のトラベル・ジャーナル執筆記事としては次のようなものがあった。
四十四年六月三十日号  航空旅客代理店グループの経営組織と情報分析 

  四十八年一月二十九日号より三月十九号まで八回連載執筆した。

①複雑な計算も数十秒で、電算機アレルギー患者のためのコンピユータ講座
業界の業務機械化はかくすすむ

コンピユータ使用もインデイビの時代 

輸送コスト分析

団体旅行のコスト計算

団体旅行価格設定のためのシミューレーシヨン

団体旅行価格計算方式

⑧為替変動相場制における団体旅行販売価格設定         

  中村氏は四十五年夏にトラベル・ジャーナルを退職し、航空貨物専門誌「SPACE]の編集長となった。創刊号より私は約三十五回、連載執筆した。その後中村氏はグアム観光局へ転職された。私が独立してビジネスを展開できたのは中村氏の支援の賜物であった。中村氏の編集業務に協力することとなった。            

GF3 パソコン活用ビジネス 3 業界誌データ処理 

 五十九年四月より海外旅行自由化二十周年特別企画として、中村編集長が書く特集記事として、海外旅行二十年間の需要分析を行うことになり、コンピユータによるデータ処理の手伝をした。

  阪急福岡営業所への海外旅行業務研究では三十三年ごろから海外旅行のマーケットの研究をしており、外務省で公表された旅券発給統計を分析したものである。
  海外旅行の自由化は三十九年四月であり、その時点での分析をジャパン・エアジャーナルで執筆したことがある。海外旅行の統計データの分析は非常に興味をもっていた。
 

  トラベル・ジャーナルで編集された海外旅行二十年間の統計データを分析してこれを特集記事にするわけであるが、どのデータとどのデータとを対比させれば、二十年間の傾向を分析できるかがポイントとなる。

  海外旅行二十年間の統計データを自宅に設置しているキャノンパソコンAS100に約千種類入力し、半対数グラフによる最小自乗法プログラムを開発、比較関連するデータを一画面にカラーで表示、これをカラーで印刷するシステムを開発した。カラーの画面印刷を納品として提出した。

  画面の縦軸は約十八糎でこの中に最低五万人から最高五百万人の目盛を入れ、また画面の横軸は約二十四糎でこの中に三十九年より五十八年までの二十年間の年度を表示させるわけである。

  伸び率が同じであれば半対数表では直線として表示されるので、関連性があると思われる特定の時系列データを、コンピユータで呼び出し比較すると、一般には気が付かない傾向を把握できる。

  例えば年齢別で二十歳未満、二十一歳から三十歳までの年度別渡航者数の時系列データの画面表示によりヤングかミドルかの伸び率が視覚により把握できる。分析する私がこれらの特徴があるデータをコンピユータより呼び出し、データ分析のポイントとなるところを編集長に説明し、編集長は読み物としての記事を書くわけである。編集長が書いた記事は次の通りであった。            

五十九年
四月 二日号 1984年の需要を予測する。成長期より微成長期へ

  二二日号 照る日、曇る日、みぞれの日 海外旅行市場今年の空模様

五月二八日号 海外旅行者の年齢別分析 ヤングかミドルかシルバーか         

六月一一日号 デスチネーシヨンはそうのびるか 一四ケ国 二十年間         

八月二七日号 航空座席は過剰か不足が 路線別、需要、供給を分析する         

九月  三日号 1984年日本発航空座席調査

  一七日号 Cクラスの乗り心地、各路線の推移を分析する             

十月一五日号 旅行会社の適性規模と平均利益は、大・中・小を経営分析 以上   

GF4 パソコン活用ビジネス 4 晴海国際見本市でのTHCSのデモ

 五十八年三月にEX社にホテルトータルシステム(THCS)として次のプログラムを開発、納品した。  ホテルフロント会計   客室予約管理     在庫管理     償却資産管理 5  料理飲料管理    会計経理    予算管理     給与計算 

  四月より顧問として志賀景昭氏が同社に採用された。志賀氏は私が開発したプログラムの監修と販売用の宣伝資料を作成され、このソフトの販売責任者となっていた。
 
五十九年三月十二日より五日間、晴海の国際見本市で「ホテル・レストラン・シヨー」が開催され、EX社がプーズを借りていたのでEX社が保有するキャノン機種AS100によりフロント会計のデモを行った。 機械の操作並びに説明はこのプログラムを私が担当した。 開催中は連日、大雪が降っていた。次女佳子は三月に青山学院大学経営学部と卒業して四月より日本IBM㈱に入社が決定しており、同級生田中哲文君とともにデモを手伝った。このデモにおいては契約の成果はなかったが、志賀顧問の紹介で㈱リードの営業部伊東氏と知合となった。伊東氏はその後、会社を退職され、㈱シードを設立され、成田レストハウスへのフロント会計の売込みに協力された。  また日本IBM㈱のホテルレストラン部門担当課長の金子一郎氏と知合、二年後、日本IBMのプログラム登録店になったとき顧客の紹介に協力された。

GF5 パソコン活用ビジネス 5 ホテル・レストラン海外視察団に同行

 EX社はホテル・レストラン専門月刊雑誌「ホテレス」に毎号、レストラン内装工事での自社の作品を二頁にわたり広告をしており、また海外のレストランのインテリアを見学するため、ホテル・レストラン関係者のツアーを募集していた。

    五十九年六月二十九日より二週間、「ホテレス」の出版会社㈱オオタ・バブリケーシヨンと共同で主催していた「第十四回ホテル・レストラン産業視察団」に参加した。  

 訪問先はサンフランシスコ、ニューヨーク、アトランチクシチイ、ロンドン、ウインザー、パリーおよびシンガポールであった。宿泊した各ホテルの支配人やレストランチエーンの経営者からセミナーを受ける旅行であった。
 この参加者の中にホテルを建設する会社の課長クラスがいるため、EX社の要請により参加した。
シンガポールでは東京第一ホテルでお世話になった山田主任が近くオーブンするシンガポールの第一ホテルの開業準備委員として赴任していたので会食を共にした。山田主任とは福岡、グアム、富山、筑波へのコンピユータ関係では同行された。

HF1 提案型ホテルソフト販売 1 鹿児島城山観光ホテルへ

 五十九年はじめにトータルホテルコンピユータシステムをEX社へ納入した。EX社はホテルレストランの内装工事が本命であるが、英国のホテルチェーン展開のための顧問として志賀氏を採用しており、ホテルの運営に必要な基本的なシステムとして[THCS]を開発、ホテル側に提案するという営業方針で、これを[提案型ホテルソフト]と名づけている。

 このシステムを一般に市販するのはパソコンの機械としての限界と開発したプログラムの特徴を知る必要があった。EX社から依頼される前に開発したフロント会計システムの納入実績は第一ホテルの富山と筑波の二つのホテルであり、客室数は百二十室前後の新築の都市ホテルであった。
 EX社の取引があるホテルは五百室以上のホテルで都市ホテルよりもリゾートホテルでありパソコン一台で処理するシステムでは可なり無理があった。
CRT画面が英語使用で漢字システムはまだ開発していなかった。ワープロ機械が発売された初期の段階では一台三百万円と高価であり、パソコンにはまだ漢字システムが組込まれていないため、漢字組込システムの販売が困難であった。
コンピユータの対象となる百室程度のホテル・システムには、漢字の処理が必要であったが、この処理ができないために、旅館関係の処理は不向きであった。

   六十年一月に鹿児島城山観光ホテルにEX社長に同行して出張した。このホテルの内装工事をEX社が引受けているため、ホテル会計経理のコンピユータの開発で参考となるシステムの説明会で二泊三の日程であった。鹿児島へは過去に二度旅行したことがあった。 

  二月に再び城山観光ホテルにホテの会計経理の講習会で二泊三日の日程で出張した。内装工事会社のコンサルタント的サービスの色彩を帯びていた。部門別の損益計算システムには、部門別コードの設定が必要な旨、力説した。 

  交通費はEX社が負担、ホテル滞在費はホテルの無料宿泊となったが、坂本システム研究所のビジネスとしては成立しなかった。EX社で紹介されたのはリゾートホテルで、日本式旅館の色彩が強いため一室の料金の観念がなく、一名、食事込みでいくらという日本旅館的な料金設定はフロントシステムとは可なり処理体系が異なっていた。

  客室へ電話料金の自動登算、複数のCRTよりの客室への入力など、色々なシステムの発生が予想されるが、初期の段階においては、コンピユータの中身を知っているものが販売しないとシステムは無理であった。
 客室の料金の計上では、その日の売上はその日の宿掛に計上するのが都市ホテルで、客がチェックアウト時にすべての売上を計上するのが日本式旅館システムで、このような相違はプログラムの中身が全く異なるものであった。 

  ホテルのシステムは数百万円から数億円までの価格の相違があり、数千万円、数億円かけて機械を導入したいとするホテルよりも、最も経済的に機械を導入したい会社にパソコンの市場があると思われた。 ホテル用語(英語)を理解するホテルが最初の導入先になるもとと思われる。 

HF2 提案型ホテルソフト販売 2 ホテルサン沖縄へ

   六十年二月上旬にキャノン㈱の東京での販売店である㈱BPCの吉本社長に開発した建設業の経理システムとホテルフロント会計資料を手渡しプログラムの紹介を行った。   

 吉本社長は沖縄出身であり、休暇で沖縄に帰省したときキャノン㈱の販売店であるSCAT沖縄の名嘉課長に見せたことがあった。SCAT沖縄は税理士事務所が親会社であったため私が開発した経理システムを評価してくれた。

  五十二年六月のキャノン販売㈱のセールスコンテストの表彰式(於熱海、金城館)に名嘉課長も出席していた。キャノン販売㈱パソコン販売担当小関部長より坂本システム研究所はパソコンの販売以外にソフトウエアの開発で可なり収益をあげている旨、紹介されたので、同課長はこのことを記憶されていたようである。
六十年二月下旬、同課長より電話がかかり、フロント会計で出張して欲しいとの要請があった。私は沖縄には日本航空の沖縄線開設招待飛行で二十九年九月に約一週間旅行したことがあり、その後の沖縄に対して興味もあり、出張する旨返事をした。東京―沖縄往復交通費は沖縄で負担するという条件であった。

  六十年三月二日、全日空機で沖縄に出張した。東京より約三時間の飛行であった。名嘉課長はホテルサン沖縄(客室数二百八十室、レストラン四店)を紹介した。このホテルは空港より十分以内の距離にあり、この近所に国場組の関連会社、㈱国建があった。この会社の会議室を借用して、翌日デモを行った。

  デモに出席したホテル経理課長嘉味田氏はデモのプログラムにバグ(虫)が無いこととホテル側のソフト修正要求に応ずることを条件としたため、三日後に納入が決定、三月末に機械が導入されるようになった。プログラムの予算は百五十万円で交通費を入れると採算的には良くないが、独自に研究したシステムの第一号であった。

  ホテルとしては他の業者にこの金額の予算でシステムの発注を行っていたため、この予算で了承して欲しいとのことであった。開発していたフロント会計でのCRT画面は、英語仕様となっていて一般のホテルでは敬遠されるところが多いが受入れられた。経理課長は米国系ホテルチエーインで勤務された経験があり、開発したシステムが米国式経理処理を採用していたためOKとなった。

  一台のパソコンで客室規模二百八十室まで処理できる実績を第一号より作ることは極めて恵まれた条件であり、東京より一八○○キロの遠隔地で稼動させることとなった。プログラムに欠陥があるときは修正したプログラムを速達郵便で送ることにした。六月一日より本番計算を開始した。  

 沖縄の状況にあわせまたホテル側の提案でよいと判断されるものは、この提案システムに織り込んだ。

 ホテルサン沖縄には三月上旬にデモ、三月下旬に機械設置時のプログラム・セットアップ五月末にフロント会計書(沖縄県税務事務所承認済み)の正式印刷様式の採用開始時三回にわたり出張した。

  その後、六月、七月および八月に他のホテルのセールスで沖縄へ出張した。これらの往復交通費や滞在費は当方の負担であるため、ホテルにその後、訪問してデモを行う時は、訪問先のホテルの客室タイプや料金の手直しを行っていた。

  名嘉課長が運転する乗用車で西部オリオン(二百室)、沖縄シエラトン(二百八十室)ムーンビーチ(二百六十室)パシフィック(三百八十室)及び那覇東急(二百八十室)沖縄リーゼントホテルを訪問、とくに日航開発㈱のホテルグランドキャスルには二回デモを行い可成りよい線が出ていた。しかしながら、きわめて運が悪いことは八月十二日の東京ー大阪間の一二三便が御巣鷹山で墜落、日航のホテルでは設備投資が差控えられ、また沖縄への旅行者数は急に冷えこんだ。このため沖縄のセールスは断念せざるを得なかった。

 ホテルサン沖縄で採用されたフロント会計がその後のフロント会計の基礎になるが、沖縄と同じく英語の会計書を抵抗なく受け入れられる地区が次の目標となる。   

HF3 提案型ホテルソフト販売 3 成田エアーポートレストハウス 

 五十九年三月に晴海のホテル・レストラン・シヨウで当時、ホテル専門の汎用コンピユータソフト会社の伊東と知合った。その後、伊東氏は会社を退職し、㈱シードプランニイングを設立し、社長となった。六十年六月に伊東社長に同行し、成田の新東京国際空港内にある東京航空食品㈱(略称TFK)の一部門である成田エアポートレスハウス(二百十室)にフロント会計システムのセールスに出向いた。

TFKは国際線の機内食を提供している会社で日本航空㈱が四十三パーセント、エアフランスが三パーセント出資していた。レストハウスは空港構内にある唯一のホテルで管制塔と接近しており付近には国際航空貨物施設であった。

この地域は警備が厳重で訪問するには警察官がゲートで訪問先よりの了解の有無を確認しており、五十米間隔に盾をもった機動隊員の前を通りぬけてのセールスであった。

  四十四年五月より航空貨物システム開発で独立、五十年に航空貨物分野から撤退した理由が、この厳重な警備体制であり、航空会社や代理店への飛込みセールスが困難と予想した。実際、空港が開港したのはそれから三年後であった。空港構内の仕事は私にとってはきわめて土地勘があるところの仕事であった。 

  六十年六月よりホテルサン沖縄のフロント会計本稼動した。パソコンの簡易ワープロで沖縄でのフロント会計システムの説明文を作った。十二月末に見積書を提出、この説明文が決済のための稟議書に添付され、見積書が承認され、六十一年四月よりのコンピユータの導入が決定した。

  見積書には経歴書の添付となるが取引先が航空産業であり、レストハウスが日本航空の関係会社であったことはプラスであった。 六十一年三月にフロント会計に機械一台を納入、開発したプログラムをテストし、四月一日より本稼動した。見積書には売掛管理システムの開発もあり、四月に売掛管理用として機械一台を納入した。機械二台とプログラム開発で見積金額は約一千万円であった。 売掛管理は新しく開発したため、担当者との打ち合わせにかなりの時間を要した。スカイライナーで上野から成田空港まで出張した回数は約四十回、開発に要した時間は約千三百時間となったが、八月には作業が終了した。

このホテルの主な売掛先は航空会社と旅行代理店、空港内の航空貨物関連会社などであり、会社名で略称を使用する場合が多い。また通過客の場合の宿泊料は航空会社で負担するが、その金額を二社の航空会社で分担するが、その分担方法を「プロレーシヨン」とよばれている。このような業界用語が必要な特殊ホテルであった。

  航空会社の略称が売掛先の略称になることが多く、このときCXなどの略称が発生すると一般のコンピユータ・セールスマンはホテル側へ聞き返すわけである。CXは英国の航空会社でキャセパシフィクの略称であり、業界用語を知っていることが航空関連宿泊施設のソフト開発には必要であった。

 ホテルの裏は航空機の係留場所で米国貨物専門航空会社フライング・タイガーのDC8-63Fが駐機していたのを多く見かけたが、かって四年間、勤務した航空会社の航空機であった。

  空港内ホテルは東京のコンピユータ会社がセールスを行うには色々、不便なところであった。一番の難点は空港への出入りで、警備が極めて厳重で、訪問先の了解を取り付けないとホテルへ行くことができない。

  ホテルサン沖縄とこの成田エア・ポートレストハウスには、NCR41号機という会計機が使用されており、この機械の後続機として他社はフロント会計のコンピユータを導入したが失敗した。 私が開発したシステムはNCR41号機と同じ米国式会計システムを組入れたため、機械処理に共通性があり、導入が達成された。フロント会計は最初に電圧の関係でトラブルが発生したが、電源の改良でトラブルは消滅した。

  売掛管理は、売掛先に対するホテルフロント会計書を添付した総括請求書の発行であり売掛先が請求書の発行方法を指定する場合があるためプログラムは大変面倒であった。このホテルに私が開発した会計書様式が沖縄と同じく採用され、世界各国の航空会社に対する請求書として採用されたことは大変、プラスであると判断した。

 

HF4 提案型ホテルソフト販売 4 自営業18年間、還暦から再出発

    六十一年七月にEX社の顧問であった志賀氏は退社し、ホテルコンサルタント会社を設立し、また国際観光専門学校東京校の国際ホテル学科の非常勤講師となった。
  六十一年八月に成田エアポートレストハウスのプログラム開発作業が終了したが、それ以降のビジネスとして、㈱シードプランニングの伊東社長と東京都内並びに成田地区のホテルへのセールスを展開したが、成功しなかった。
  沖縄のSCAT販売店の名嘉課長はSCATを退社され㈱国建のシステム部次長として就職された。このため販売に協力された人々が消滅した。
 

  四十四年五月より坂本システム研究所を設立した。株式会社組織にせずに仕事を展開したが一般ホテルへの販売には信用の面で限界が発生しており、六十一年八月の時点では新規のプログラム依頼先がストップしていた。

  EX社においては顧問の志賀氏の退社により計画していた㈱IHD社が設立されないままになって中断したため、EX社長より私にこの会社を設立し、その代表者に就任するように要請された。

  ㈱IHDはホテル建設のコンサルタント業務やホテルに人材を派遣したり、予約センター的な業務を主なビジネスとして企画されており、副次的なものとしてホテル・コンピユータ・システムを開発する業務などがあった。 ホテルのコンサルタント業務や人材派遣業は経験がないため引受けることはできないが、五十八年一月よりEX社のコンピユータ・ソフトウエアの開発を行っており、ホテルのコンピユータ・システムの開発と販売に限定した業務での会社設立は可能と考えた。

  EX社は日本航空関連会社の紹介で五十三年末より取引を開始しており、同社の経理システムの処理、給与計算、工事積算などでは、私から機械を五台程度購入され、またプログラムも開発も委託されていた。個人で販売を行うことは暗礁に乗りあげており、会社組織により新たなビジネスの展開を行った。

  六十二年三月十七日に私は還暦を迎えることになったが、十九年継続した自宅でのソフト開発ビジネスから会社へ定期的に通勤するサラリーマンへ転身することとなった。会社組織において今までにキャノン機種で作成したホテル関係コンピユータソフトを日本IBM㈱のパソコンに移行することであり、将来OSがIBMに移行することを推測した。四十二歳の厄年から六十歳の還暦までが自営業であった。還暦からの再出発となった。

                

HF5 提案型ホテルソフト販売 5 新会社経歴書

 六十二年二月十二日、ソアレックス株式会社、資本金千二百万円、本社所在地、港区赤坂で設立登記を行った。代表取締役に三木正也氏(EX社長)と私が就任した。出資比率は各々五十パーセントとした。会社の事務所はEX社の事務所の一部を借用した。

   五十七年よりEX社長とで共同で開発したプログラムは新会社に無償で貸与した。また対外的には坂本システム研究所の会社組織ということになり、プログラム開発例と会社概要、私の経歴などを紹介した。会社の従業員は私一人であるが、EX社はホテル・レストンの内装工事設計会社であるため、ホテル・レストランという同一マーケットを対象にした新会社であった。

    私の代表取締役の経歴としての 

二八~四三  阪急電鉄㈱社員
出向先㈱阪急交通社

四二~四三 総務部事務機械課長兼貨物部企画課長・長期計画委員会委員 

四四~現在 坂本システム研究所代表 

四四~四八 フライング・タイガー航空会社社員
四七~四八 ボーイングコンサルタント

四五~五八 ソニー倉庫、ソニーサービス㈱嘱託

新会社のプログラム開発例として①フロント会計、②予約管理、③会計経理、④予算管理、⑤償却資産管理、⑥在庫管理、⑦給与計算、⑧顧客管理、⑨売上請求、⑩部門別売上売掛集計

 プログラム開発実績として 

運輸省(航空機騒音証明)

国家公務員共済組合連合会(医療)

ルフトhンザドイツ航空(コストシュミレーシヨン)

日本航空(本社部門各種プログラム)
日本通運(関税申告計算)            

三井物産(約二十部門、各種プログラム)

三井リース事業(リース計算、期間損益)

とみんリース(リース業経理)
日本ランディツク(リース採算)            

成田エアポートレストハウス(フロント会計・売掛)

富山、筑波第一ホテル
ホテルサン沖縄(フロント会計)
ジロー(経営管理)  
ハピーモア(レストランチエーン経営管理)

エクスブレイン・インツダストリー(建設業)

 以上の会社案内は六十二年三月六日及び二十日の「ホテル・レストラン」週刊業界誌の中開き四面広告に掲載され、これを新会社のパンフレットに使用した。EX社はこの業界誌に隔週でレストラン内装工事作品事例を紹介のためスペースを確保しており、これを利用してのソフトウエアの紹介という販売面での武器があることが新会社の特徴であった。

2008年9月16日 (火)

JF1 会社設立初年度業務 1 日本IBMパソコンへのソフト移植

  六十二年二月にソアレックス㈱を設立し、当初の開発目的としてはホテルコンピユータシステムのCRT画面が英文字使用となっているものを漢字仕様にキャノン機種を対象として変更することであった。  坂本システム研究所においてIBMプログラム作成登録店の承認を得て、IBMパソコン55を発注した。三月八日、機械を会社に設置した。次女は日本IBM(六本木本社)に五十九年四月に入社、六十二年四月にシステム・エンジニア部門へ転勤したため、IBM機種のプログラム作成研究には好都合であった。
  キャノン機種のOSはMS/DOSでIBMのDOSとはかなりの類似性があるが、フロッピーディスクへのデータの入出力命令が異なるため、プログラムは打ち直しを余儀なくされた。七月末でIBMパソコンに移行できたプログラムはフロント会計、部門売上、売掛集計及び客室予約管理の三種類で、これをまとめてフロントシステムとした。会社設立当初は仕事がないことを予想しこの間、IBMにも利用できるソフト開発を行った。

JF2 会社設立初年度業務 2 沖縄石垣島より注文

六十年三月にホテルサン沖縄にフロント会計プログラムを納入、この時、SCAT沖縄の名嘉課長の紹介であったが、六十年秋にはSCATを退社して、㈱国建システム部次長として就職した。㈱国建は倒産したホテルを買収し、改装工事を行うことになり、六十一年夏、ホテル建設事業計画採算業務で沖縄に三泊四日の日程で出張した。このときEX社と共同で開発したホテル建設事業計画プログラムを持参した。㈱国建システム部はキャノン販売㈱の販売店であり、機械を所持していたので国建のホテル開発担当者と買収したホテルの改装工事後、ホテルの運営を行った場合の長期経営計画のシミレーシヨン作業を手伝った。交通費と滞在費とを同社で負担、出張費として十五万円程度が支払われた。新たに改装されたホテルは沖縄県石垣島に設立された八十室の石垣グランド・ホテルでここにホテルシステムを納入して欲しいとの連絡をうけた。
 六十二年八月よりこのホテルへフロント会計、部門売上、売掛集計および客室事前割当システムを納入するため、キャノン機種により作業を行った。
  石垣島には八月より十月までの期間において、約五日の滞在で三回出張した。東京から沖縄那覇まで空路約三時間、それから南西航空で石垣島まで約五十分であった。航空券代は約七万円、ホテル宿泊費はホテルの招待であった。ソフト収入は交通費を含めて二百五十万円であった。東京都内には販売対象のホテルが存在しなく、きわめて遠隔地に需要が発生していた。 新会社の最初の仕事が石垣島のホテルであった。ホテル建設事業計画というソフトによって、コンピユータソフト開発を受注した最初のホテルであった。

2008年9月17日 (水)

JF3 会社設立初年度業務 3 富士通電子交換機との接続

  成田エアポート・レストハウスには、六十一年四月にフロント会計システムを開発、納入していたが、同ホテルより六十二年十一月、使用中の電話交換システムを撤去して新たに電子交換機システムを導入したいとの連絡を受けた。
 客室から外部へ電話をかけるとき客室ごとのメータ計に電話の度数が表示され、夜間に客室料金や飲食代金を各部屋に付け込むとき電話課金を手入力していた。
  電子交換装置を導入して各部屋の電話料金はプリンターで印刷し、更にフロント会計コンピユータと連動させ、毎日、夜間に自動的に電話料金を各室ごとに付けこみ、チェックアウト時に早朝で使用した電話課金があれば、自動的に会計書に追加記入をさせるシステムがホテル側の希望であった。
  数社の電子交換機で使用中のキャノン機種と連動する交換機として、富士通の電子交換機FETEX2700をホテルに推薦した。富士通より提供される電子交換機インターフェイスの仕様書が唯一の資料であった。
 富士通のコンピユータと電子交換機との接続を前提としていたのが富士通側のシステムであるため、キャノンのような他のメーカーの機種との連動の経験が富士通にもないため、接続の研究は大変苦労した。
  コンピユータと電子交換機とを結ぶインターフェイスRS232Cの接続方法から研究した。電話交換機を取扱っている富士通の千葉特約店は電話機販売業者であり、電子交換機と他社のコンピユータの接続方法はこれが最初であった。また通信手順という用語の解釈も不慣れであったので、打ち合わせにかなりの時間がかかった。フロント会計はBASIC言語でプログラムを作っていたが、電子交換機との接続命令に機械語が必要かもしれないと考え、キャノンに問い合わせたが、機械語が不要と判明したのは、二ヶ月後であった。
 富士通より接続の研究のためFETEX2500電子交換装置と数台の電話機が会社事務室に提供され、私は会社でホテルに導入したパソコンと接続して接続の研究を行った。
  三月十五日にレストハウスは新旧の電話交換機の入替を行いに、これに使用中のキャノンパソコンと接続した。通信機との接続にはホストコンピユータとしてのパソコンよりの電話課金の問い合わせよりの信号に応答しないケースがあり、この際、再度の照会を行うが、解答がなければ打ち切る処置を行わないと業務が進まないケースも発生する。
 
この場合、結果的には電話課金の取漏れとなる。他機種との接続には電話交換機の欠陥、コンピユータの欠陥、接続のケーブルの欠陥、あるいは電圧に問題があるか、それともプログラムに問題があるか、責任を他社に転嫁できないことがある。
  阪急在職中、電算機を導入したのは富士通の機種で、ユーザーの論文集には二回掲載されていた。メーカーよりの支援が必要であるため富士通の通信機との接続を希望した。

JF4 会社設立初年度業務 4 国際観光専門学校よりソフト開発受注

六十三年一月末、国際観光専門学校東京校国際ホテル学科講師志賀景昭氏より、学校に東芝パソコンが二十一台設置されるので、フロントシステムを開発して欲しいとの連絡を受けた。
志賀講師は二年前まではEX社の顧問であり、私が開発したシステムの内容を点検し、販売が可能なように説明文をワープロで書く業務に従事されていたため、私が開発するホテルフロントプログラムの内容は熟知されていた。
 学校に納入を予定されている東芝のパソコンは観光学科、航空輸送学科および国際ホテル学科が共同で使用し、ソフトウエアは東芝のソフトハウスで開発中であったが、開発中のソフトは観光学科では旅行計画書の作成、航空輸送学科では航空貨物運送状の作成で、実習担当講師がソフトハウスに業務内容の概略を教えて開発させていたが、コンピユータ授業が四月から開始されるため、ホテル学科のプログラムはこれに間に合わないと判断された。学校側が新規にシステムの仕様書を書き業者に開発させる場合は、色々な問題があるため、新規開発よりも実際にホテルに納入し、使用されているシステムのほうがよいという結論になった模様である。私が開発したホテルフロント会計システムは米国式の会計経理であるため、国際的に汎用性があると判断された。志賀講師より見積書には志賀講師が内容についてすでに点検済であること付記するように助言された。
国際観光専門学校には留学生が多く、またホテル業界用語に慣れさせるためにプログラムを日本語と英語との二種類とすることを学校へ提案した。このため見積書は四百二十万円となった。ホテルに納入する場合、パソコン一台を対象にしているが、今回は二十一台を対象とした金額であった。
  コンピユータ処理の対象となるホテルのモデルは客室規模を二百室とし、レストランおよび宴会施設を七ヶ所とした都市型ホテルとした。また電話料金自動登算の仕組をプログラムの中に折リ込み、使用中の客室から外部へ電話をかけたと同じような現象をコンピユータに乱数を発生させて再現させる計画とした。
  参考資料としてIBM機種で開発したフロント会計システムは日本語と英語の二種類の説明書を添付した。一年前に英文の説明書を作成していたので好都合であった。見積書学校に提出し、承認を得てから開発に着手するのでは、四月十三日よりの授業に間に合わないため、学校事務局を信用しての見切り発車であった。

JF5 会社設立初年度業務 5 国際ホテル学科非常講師

国際専門学校のパソコンを使用する国際ホテル学科の授業は、昭和六十三年四月十三日よりはじめられるが、これに必要なコンピユータプログラムの開発には数ヶ月勘、要するため、承認されてから着手するには間に合わない。このため、確実にOKになるという前提で、プログラム作成をスタートした。
  事務
局が私を信用されるかどうかにかかつていたが、プログラムを開発する私が國際ホテル学科コンピユータの非常勤講師をも兼ねることを希望された。授業を行う講師がプログラムの内容を把握しておく必要があり、ソフト開発者と講師とが同一人物であることは、学校としては大変魅力的であると言われた。
   学校よりの見積書の承認は確実であると予想
し、二月のはじめよりIBMパソコンでプログラムを開発し、それから東芝のパソコンに移行する計画を立てた。
   まず学校の責任者との面接が必要であった。
学校事務局へ見積書を提出した後、校長室に挨拶に行った。  校長は鷹司信兼氏で元日本航空㈱本社広報室次長であった。授業としては航空輸送概論を担当されていた。校長は私の経歴書を見るや、今年、阪急の混載部門であったJFCより卒業生を採用していただき有難うとお礼を言われた。また日本航空の貨物部長であった網倉氏を知っているかということを質問された。即座にこれに答えた。色々の話で私が知っている約二十名の日航社員の名前を申しあげたところ、校長は全員の名前を知っておられた。私は福岡で旅客業務、東京で貨物業務であったので、日航社員で面識がある人は多かった。最後に私を阪急に紹介したのは田尻重彦氏であると申しあげたところ、彼は校長の羽田時代の部下であったと答えられた。
  私が観光、航空貨物、ホテルを経験していることは、専門学校の全学科を網羅しており航空機乗員養成所で航空機整備まで経験していることを大変評価された。校長との面接で見積書の承認は間違いないと判断し、作業にとりかった。この学校の教務部長、学生部長は元日航社員であり、他に日航の関係者が五、六名、教職員として勤務していた。
  学校で使用するプログラムは、成田エアポートレストハウス(客室規模二百十室)で使用されたものをモデルとしており、このホテルは東京航空食品㈱の一部門で日本航空の関係会社であった。  国際観光専門学校の教育科目で語学はきわめて重要であり、コンピユータのプログラムでは日本語と英語との二ヶ国語を対応させるというアイデアはコンピユータ業者にはない発想である。私が講師を依頼された場合は、二ヶ国語を対応したほうが講義に有効であると思った。専門学校の授業では私は英語の講師ではないが、自己の語学での体験をコンピユータ授業に組み入れることが重要と考えた。
 東芝のパソコンで開発する前に日本IBMのパソコンでプログラムの作成を行ったが、運よくIBM機種で開発したBASICプログラムが、東芝機種に機械的に移行できた。
 国際観光専門学校の非常勤講師の仕事は、還暦の翌年まら古希の当月まで満九年間継続された。還暦から古希までの仕事の一つに専門学校非常勤講師という職業が発生していた。
 
   

2008年9月18日 (木)

KF1 国際ホテル学科授業 1 教育環境 

 六十三年四月十三日より国際ホテル学科二学年のコンピユータ実習の非常勤講師を委嘱され、学校とソアレックス㈱との講師派遣契約に基づいて実習を担当することとなった。講師料は九十分授業で一万三千円である。講義は毎週水曜日九十分授業で四クラスを担当、年間二十七週で四単位の教科である。
  パソコンは二十台設置、一クラスは約二十名の編成であり、このなかには韓国、台湾、中共、香港、マカオ、ミクロネシア及びフィジィからの留学生が二十四名含まれており、また男女の比率では三割八分が女子学生であった。
 フロントシステムを学校に納入、かつ実習を担当するわけであるが、開発したシステムが妥当か否かは、学生が理解できるかどうかである。このため学生の理解を容易にするための教育資料の開発にかなりの時間を投入した。
  一日に四回にわたり講義をするために同じことを黒板に書くという作業を合理化しておく必要があり、事前に講義内容をワープロで作成、学校の複写機にかけて必要枚数を配布公休その他で欠席した学生にも資料を配布した。学生間でノートを借りる必要性がない授業であった。
  最初から教科書を作成するのは困難であるため、学生はパソコンのスプロケット付パソコン連続用紙を綴じ込むことができるファイルを教科書替わりに購入し、学校で準備された書庫棚に保管させた。実習でのアウトプットを各学生のファイルに順序よく整理させ、講師がファイルの見本として「目次」を配布した。試験においてはこのファイルを持込資料とし、この中から試験問題を出題することにした。
   ファイル
は書庫棚に格納されクラスごとに整理されており、学生の学習への達成度を外観からも把握できるようにした。コンピユータ実習において暗記するということよりもコンピユータで印刷された資料が何であるか、これを順序よく整理することが実際のフロント会計業務で求められる。学校で使用したコンピユータ用紙での印刷物を卒業まで学生に保持させることが、プログラムの開発内容を立証する資料でもあった。

KF2 国際ホテル学科授業 2 コンピユータ実習教科書 

 国際ホテル学科のコンピユータ実習授業においては当初、学生に実習で印刷される資料を綴じるためのスプロケット付バインダーを購入してもらい、講師より提供される目次に従って、各自でコンピユータより印刷される教材を順序良くファイルすることを、実習の大きな指針としていた。このバインダーが教科書がわりで期末試験においては、試験場への持込OKとしていた。
 
学生が毎回、自宅から学校へこのバインダーを携行するのは、困難であるため、学校側で整理棚が用意され、各自所定の位置にバインダーを保管するようにしていた。講師としては学生の実習状況が把握できるため、教科書を作成する必要はなかった。これが昭和六十三年四月より平成五年三月まで五年間、継続された。
 使用していたコンピユータが、デスクトップ型からノートパソコン型に切替わり、コンピユータ室のパソコン台数も二十台から六十台に拡大され、教室のスペースの関係で、実習資料を保管する整理棚がなくなったため、講師が教科書を作成する必要性に迫られた。
 平成五年四月よりホテル学科のコンピユータ実習に必要な教科書を作成することにした。教科書の原稿は私がワープロで作成、印刷および製本は印刷会社へ学校事務局経由で発注した。頁数は二百頁で部数は二百冊で印刷費用は二十九万五千円であった。二年間で配布する教科書数は百三十冊で単価を二千二百五十で発売、二十九万三千円が回収された。
 
学校に三十冊、会社に四十冊が予備在庫となった。この予備在庫の四冊程度をホテル側へ提供したが、開発したソフトの権威づけにはきわめて効果的であった。教科書の作成は講師が費用を負担することになるため、講師で教科書を作成する人は少ない。教科書の内容は次の通りである。                

* 観光業界用語実習支援
* フロント会計 * 客室予約管理
* メニュー展開 * 宴会管理

* リネン管理   * ホテル経営計画支援

  一つの学科を丁寧に教え、全員に理解させる方法は理解力がある学生には退屈な授業である。このため最低限の授業を確保しながら、意欲がある学生に対しては、学生の興味に従って、個別に指導ができるように教科書においては、その仕事の説明とコンピユータ処理を行ったときのアウトプットを掲載した。  六十三年四月よりホテル学科のコンピユータ実習授業を行っていたが、当初はフロント会計、部門売上現金売掛集計および客室予約管理であった。その後、学校に提案して観光業界用語実習支援と宴会管理ソフトを授業に取り込むことにした。年間約三十週、一回、九十分授業において多くの教材を投入し、授業のスピードアップを図ることが必要であるという学校の方針に沿ったカルキュラムの編成を行った。

大学、専門学校へ入学する十八才未満の学生数が年々減少しており、学生の質が次第に低下してきた。学生が興味を持つ授業でないと講師は非常に苦痛な授業を余儀なくされるわけである。パソコンによる興味ある教材の開発を心掛けた。 

KF3 国際ホテル学科授業 3 平常点の査定システム 

 非常勤講師として毎週水曜日、8時半頃学校に出勤、午前の授業は9時より10時30分の90分授業である。  15分間休憩、10時45分より12時15分までが午前中の2コマ。午後は13時より14時30分と14時45分から16時15分までの2コマである。
 会社の出張で沖縄や札幌へ旅行するときは木曜から火曜日までの期間で用件をすませ、必ず学校へ出勤するようにした。9年間の授業では、学校に行く回数が前期と後期とを合わせると、年間60回である。9年間では約540回となるが、休校は1回、あとは皆勤であつた。
 学校から注意されたのが1回あった。コンピユータ授業中、学生が教室以外で遊んでいることを、若い事務員から報告をうけたことがあった。いわゆる[エスケープ]である。これは学生に注意をしても、繰り返して発生するため、私は、学生には注意はしなくて、早速対策を講じ、実行した。これは[教科書持参点検表=実習カード]の導入である。
 教育者というのは学生が授業に教科書を持参することは当然のこと。と思われ、このようなことは馬鹿げていると判断されるが、これは非常に面白い方法でこれが成功したため、私の授業ではこれを踏襲した。これは教育というよりも、管理システムであり、受身の授業でなく、講師が学生を追い回すという軍隊では、鬼軍曹が新兵へ教育するようなものである。
 授業の最初では学生の出欠をとり、授業終了後教務部へ提出、学校側は出席率70%以下の学生は、試験資格がなくなる。コンピユータ処理で基準出席日数が不足している学生の一覧表が公開される。
 ホテルにおいてはチェックインとチェックアウトがあるが、出欠を取ることはチェックインに相当する。このチェックアウトに相当する授業終了後に出欠をとる。2回出席をとる講師は学生の反感を買うことになる。しかし方法を変えると、これがスムースに実施できた。
授業の最初に学生の出欠をとり、授業終了後教務部へ提出、学校側は出席率70%以下の学生は、受験資格がなくなることを警告。コンピユータ処理で基準出席日数が不足している学生の一覧表が公開される。この出席率を講師のなかには平常点の査定に、利用されている人も多いと思われる。

 ここで私は「教科書持参点検カード」を考案した。授業が終了すると、教科書の末尾に添付した点検カードに講師印を押す。この点検カードには、授業日と講義内容を事前にカードで公表、このカードを教科書の裏にホッギスでとめるようにした。教科書を持参した人には、授業日に講師印があるため、学生の都合でどの日、どんな授業を受けていないか一目瞭然である。
 1 30名程度の学生の授業を行うとき、システムのトラブルが発生するとこれを、復旧させなければならないが、講師1人では手は廻らない、学生の協力が必要である。これを簡単に復旧させるマニュアルを作り、教科書の末尾に挿入しているため、教科書持参というのは、この1枚の紙の持参であり、試験のとき必学生が持参する教科書に挿入している。授業終了後、学生を並ばせて点検印を押すため、学生と顔を合わせる機会が多くなるという利点がある。
 2 海外のホテルへ研修のため出かけた学生が帰国したとき、コンピユータ実習ではその学生のため授業中、時間をさけない場合がある。この時、側面から帰国した学生に、自発的に教える学生には、記入欄に HELPの頭文字Hを記入しておくと、講師がこれを確認して認印を押すわけである。特定の学生の善行を他の学生へPRされるのを好まない学生が多い。他の学生にはわからないが、講師はその都度、その行為を確認し、捺印をする。
 3 学生でこれは講師が喜びそうなことを発見したとき、例えば、あと片付や、教室内の紙くず拾いなど、これを行った学生は、記入欄にSという文字を記入していれば、講師印を押して確認する。黒板を拭かないで退出する講師もおり学生に拭いてくれと頼む。学生が実行すると、K(黒板)とかけば、講師が講師印を押す。これは落ちこぼれた学生には、きわめて好意的に受け止められた。スタンプを集めれば合格するということが判明する。
 4 試験では教科書持込がOKであるので、前期と後期でキリトリ線のとこで切断。学生はこれを答案の上において退出する。これは講師としての私は学生の授業態度の記録を管理する必要がない。すなはち、講師の閻魔帳が不要となる。所得税の査定での自己申告制と同じ考えであるが、申告した時点で、内容の点検が終了している。
 5 同じ試験の点数でも、ある学生は及第、ある学生は落第。このとき落第し
た学生が講師に抗議するとき、及第した学生は、落第した学生に講師印が少ないことを指摘する。墜落したときのパラシュウトであるため、バラシュートに穴が開いて破れていることを喩えて、落第生を諭したことがあった。留学生や女子が多いと好き嫌いで、平常点を付けることはトラブルが発生しやすいため、客観的な平常点の査定は授業では重要であった。
 6 授業とは学生の勉強を側面から援助することであり、教えるのではない。
こんな考えが学校の創設者の理念であった。学生の勉強を手助けし、より多くの授業を展開している講師を助ける学生の評価を高くしている。学生の評価では減点主義はとらない。このシステムを学生が無視しても減点されることはないが、このカードでの個数によって点数がプラスされる仕組みである。スタンプの個数の評価は、40点クラスではスタンプ1個で1点の評価であるが90点以上の場合は、スタンプ5で1点加算というような採点方法を採用した。
 教務部へ試験結果を講師が付け出す場合は、講師は学生の平常点を加味できるとされており、この方針を展開させたわけである。

2008年9月19日 (金)

KF4 国際ホテル学科授業 4 教材開発に学生アルバイトを

専門学校へは[国際ホテル学科にはこんなソフトが好ましい]という提案を行いこれが承認されて、非常勤講師として授業を行うが、私が所属する会社と学校との間に、講師派遣業務が締結された。
 還暦を過ぎた人が会社の嘱託などを兼務しているとき、毎週、例えば金曜日、学校へ講師として出勤すると仮定すると、講師料は学校から10%の所得税を差し引かれる額が本人に支給されるが、これを本人の所得にするか?会社の就業時間を使用しての講師の仕事であるため、会社の収入に計上すべきと判断され人もある。
 派遣契約は全額、会社の収入として計上するため、講師が会社での教材の開発は会社の業務の一環であり、学生アルバイトが必要な場合はその賃金は所属する会社の負担となる。会社においてソフト開発を行い、プログラ料は学校へ請求、派遣講師に対する謝礼は学校から会社への支払となる。
 
専門学校の講師として必要な教材開発を手伝うアルバイトが必要であった。これに対して時間給1000円を支払わけであるが、アルバイトにパソコンの入力方法やBASIC言語で作成した手書きソフトの入力業務を一般募集することは難しい。
 
ホテルの学生はレストランなどでアルバイトをしている人も多く、学校としては働きながら通学することは奨励されている。私が担当するパソコン授業での教材開発に教えている学生を採用することは色々な面で好都合であった。学生アルバイトは授業がない日でフレックスタイムである。
 
講師の1時間当りの報酬が約1万円とするとこの報酬は学生が支払った授業料の一部である。講師の1時間の労働で得た報酬1万円を投入すると10時間分の学生の労働力が買える勘定となる。フードバック的考え方である。
私はフロント会計、宴会管理、ホテル建設事業計画、レストランメニュー展  開などキャノンの機種で開発したが、当時、学校で使用する機種は東芝のパソコンであった。この両者間には互換性がないので、キャノンで作成したプログラム言語を、IBM機種に、そのまま学生を使って入力させ、この両者間で若干異なるとこを私が変更すれは、効率的な移殖作業ができた。
 宴会などのシステムを授業用に再開発するとき、可なり多くの婚礼披露宴や一般宴会のサンプルがないと予約管理や顧客管理の見本が作れない。講師として教えている学生を使用するため、授業においては理解が早いので助かる。
 学校の創設者が強調されているのは、一つのことを丹念に教えるのでなくて一定の時間内に数多くの教材を使用してのスピードアップを図ることである。
専門学校の学生にはきわめて程度が高に人とそうでない人がおり、レベルの低い人に照準を合わせると、授業に退屈するひとが多い。このため会社で保存するソフトを授業に使用した。これはビジネスである。効果があると判断した場合は学校側へ正式に見積書付き提案書を提出することにした。
 
これは同じコンピユータ授業でもソフトの更新、追加を行っているところの相違が発生するが、世の中の変化に合わせた教育内容の見直しが各講師には求められていた。留学生には国費学生がおり、帰国してホテルの建設事業に携わる人もあると思われ、ホテル建設事業計画はボタン操作で提案書が作成できるため、これに興味を持っ留学生もいた。  

KF5 国際ホテル学科授業 5 期末試験出題パターン

 コンピユータを会社で導入するとき、いくつかの考えがあるが、この作戦を間違えるとサラリーマンとしては大変なことになる。売掛管理の機械化は通常、伝票発生から入力を行い、流れに沿って機械化をするが、これは失敗すると経理が大混乱になり、導入企画を行ったものは責任をとらされる。これを回避するため、流れ逆にした。最終的な審査部門からの機械化と重複している部門の業務をなくし、浮いた人員で機械化を推進した。
 学校の授業で言いかえれば、授業の最終段階の期末試験というものを授業の最初に持ってゆく。試験問題の公表と試験における資料や教科書などの持込の承認という方法である。
 ホテルコンピユータ実習は他の授業とは異なるものであり、これに使用する教科書は講師が作成したものを使用するため、国家資格や各種検定のための授業とは異なる。
 ○○講師の授業では○○検定に何名合格したというような学習指導ではないため、講師が試験問題を漏らしても問題にない。問題は資料持込OK、事前に試験問題を公表しているのに、どうして点数がとれないか?という学生の基本的な問題のテストである。これでも点数がとれない学生には追試験を行った。試験問題は出題の方法、順序によっても点数が変わる。
 統計学的考察により事前に点数分布を計算しており、平均点を60点とする出題では90点以上が10%程度いるとすると50点以下がゼロというのはあり得ないという想定である。
 私の試験問題のパターンは業界用語が25点、計算問題が25点、ホテルや航空輸送の専門分野が25点、コンピユータで打ち出した資料を答案に添付、その内容を判りやすく簡単に説明するのが25点である。このパターンを9年間、続行した。
試験問題は4頁にわたり、110分で4頁では40分が標準の答案を書く時間である。学生は答案を書き終わると教科書に添付している[教科書点検カード]切り取り、これを答案の上において退出する。学生の平常点を査定する講師が検印した資料で、講師は学生の授業態度を、学生の自主申告で判明する。 
試験結果は悪いがこのカードにより、平常点が追加される。きわめて公平な成績評価が行えると判断した。学生はこのシステムを評価した。試験で教科書を忘れると、平常点の査定となる[教科書点検カード]を提出できない学生が100人に2人ぐらいる。追試験対象学生となる。成績が悪い学生には追試験を行う講師であった。 

2008年9月24日 (水)

LF1 類似 ソフト開発業務 1 在庫管理とリネン管理

 昭和五十四年に東京第一ホテル企画部へキャノンのパーソナル・コンピユータを納入、ホテル十五年間売上計画プログラムを開発した。第一イン関係のホテル建設計画担当に中田秦則氏がおり、色々とお世話になっていた。それから八年後の六十三年夏、中田氏より電話を受けた。京都市中区三条に建設される約百室の東京第一ホテル京都の在庫管理のキャノンパーソナル・コンピユータの納入とプログラムの開発であった。
東京第一ホテル京都の中田氏とのプログラムの打合わせで年末まで六回出張し、十二月末にキャノンパソコンを京都に発送、ホテルにセットした。翌年の三月にプログラムの開発は終了した。その後、四回出張したので合計十回の京都出張であった。
  ㈱オフィスコンピユータの代表取締役である佐々木源基氏の紹介で、平成元年四月にオープンするロイヤルパークホテルの客室部門のリネン管理プログラムを開発、納入することになった。東京第一ホテル京都と類似のシステムであったので、リネン管理プログラムの開発の見本として、東京第一ホテル京都の伝票の見本を紹介した。
 ホテルにはIBMパソコン5550機種が納入されており、この機械を利用してのホテル従業員の制服や客室のシーツ類の洗濯代やマッチや灰皿など備品を管理するためのシステムで、在庫管理と経費の管理が主体であった。購買・在庫管理・部門収支プログラムとしては、担当者と打合わせを行いながら、下記のような作業を行った。
伝票入力
  A 仕入伝票入力 入庫(買掛、現金)返品 出庫・取消、経費計上
  B 部門振替伝票入力、振替、(在庫、経費計上)
  C 買掛支払伝票入力
  D 棚卸伝票入力
  E 経費・部門売上処理 
登録作業
    取引先コード、品名コード、単位コード、
    買掛残高移行、在庫残高移行、その他 
    部門コート、大分類・中分類のコード称 
帳票作成作業(毎日)
  F 入力伝票リスト
  G 日計表作成
  月間一括処理(月末)
  J 買掛金残高表 N0買掛仕入、N1現金仕入 
  K 在庫残高表 N3入庫、N4在庫振替、N6出庫、N7棚卸 
 M 営業月報
 L 経費集計表 8経費、N9経費振替等の各台帳
以上

2008年9月25日 (木)

LF2 類似 ソフト開発業務 2 ホテル宴会場とホテル学校授業

    成田プリンスホテルは東京航空食品㈱よりホテル施設を借用していたが、契約期間が終了し、施設は東京航空食品㈱に返還され、宴会施設を約三十億円かけて建設、成田ウインズホテルという名称で平成元年十一月十五日より営業することとなった。
  東京航空食品㈱が経営する成田エアポートレストハウスには、昭和六十年四月にキャノンの機種を納入し、六十三年には富士通電子交換機とパソコンとを連結したフロント会計ソフトの開発を行っていた。これらの関係から、宴会管理プログラム開発を私に依頼された。

 五十年七月からキャノン販売㈱の販売店となり、十四年間、キャノン機種でのソフト開発に従事してきたが、今回から日本IBMの5550機種のパソコン販売では二次販売店となった。これは機械販売の荒利が従来の三割か一割となった。同一データをこれらの三台の機械が共同で使用するロカル・エリア・ネットワーク・システムとなった。機械及びソフトウエアの請求金額は一千一百万三十万円であった。プログラムはきわめて面倒であったが十一月十五日に間に合うように納品した。
 国際観光専門学校国際ホテル学科のコンピユータ実習授業を昭和六十三年四月より担当しており、フロント会計システムを教えていたが、専門学校の卒業生がホテルの客室部門よりレストラン・宴会部門に採用されるという傾向が現れたため、実際にホテルの宴会部門に納入した宴会管理システムを専門学校の授業に再開発することにした。
 データベースであるため、宴会場名、使用メニューの名称、価格を改定、宴会利用者名など、学生に馴染みがある名称に変換して汎用性を持たせた。
 当初、一年間の学習予定であったホテル宿泊関係コンピユータ実習授業の中身で、学生には、理解困難であるフロント会計のバッチ処理などの授業を短縮して、後期より次のような授業を組み入れた。
 「国際ホテル学科」
 六十三年四月よりホテル学科のコンピユータ実習を担当、毎週九十分授業で年間約二十五週、四単位の授業を行った。平成八年度の講義内容は次の通りである。
前期」 ホテルのフロント業務として客室予約管理、宿泊料金として税サ別、税サ込、サ込税別料金による会計書の発行、夜間バッ処理、部門別売上集計を行う。
NO.講義内容
    機械の基本操作、教材ワープロの印刷方法、
 
  観光、ホテル業界用語の印刷
    宿泊可能人数計算、消費税計算
    客室予約管理
    客室予約管理
    税サ別、税サ込、サ込税別料金早見表作成
    会計書(手書き)作成演習
    チェックイン、伝票入力、室料自動登算
    会計書(日本語)の発行演習
一○  会計書(英語)の発行演習
一一  フロント会計夜間バッチ処理、現金売上照合
一二  各種宿泊統計作成
一三  部門現金売掛売上集計
一四  会計書作成、試験問題説明、復習
「後期」 食品材料展開、一般宴会と婚礼披露宴宴会ファイル登録、予約、経理、顧客管理、宴会手配書、見積書、請求書の発行など料飲部門での機械処理の学習を行う。
NO.講義内容
一五  食品材料原価計算演習
一六  和食、中華、洋食八十種類のレシピーの印刷
一七  メニュー売上数量により食材の理論的使用量の算出
一八  在庫管理における数量、価格差異分析
一九  宴会基礎ファイル点検、各種プラン料金、首都圏主要宴会場価格
二○  宴会予約照会、宴会顧客管理 六輝、結納などの用語説明
二一  宴会顧客管理、宴会会計
二二 一般宴会入力
二三 一般宴会見積書、請求書発行
二四 婚礼披露宴手配書入力
二五  婚礼披露宴見積書、請求書発行
二六 披露宴手配書作成、試験問題説明、復習 
 
平成元年十月よりこの宴会管理と業界用語編集システムを試験的に実習に追加し、学生興味があるかどうかをチェックした。予定していた教科を統合し、業界用語編集システムと宴会管理とを追加した。期末試験においては宴会管理も出題した。学校にはシステムの見積書を提出、決済を仰ぐことにより正式な授業科目として承認された。

LF3 類似 ソフト開発業務 3 宴会科目から学校の業界用語へ

  国際観光専門学校には観光学科、国際ホテル学科と航空輸送学科があり、私は旅行業務では八年、航空貨物では十二年、ホテルでは十年程度従事してきた。また学校は英文科で米軍基地で約十年働いていたので、航空会社、代理店、ホテルではどのような業界用語が使用されているか?きわめて関心があった。
  成田国際空港周辺のホテルに、宴会管理システムの開発を行ったが、外国の航空会社などが、一般宴会を行う可能性もあることが予想されるので、見積書、請求書などに必要な宴会科目の名称は日本語と英語との二ヶ国語にしていた。 
  コード(二桁)、略称(三桁)、科目名(日本語十六桁)、科目名(英語十六桁)、金額(八桁)、備考(十六桁)のファイル構成を行っていたが、金額欄を科目の大分類項目に置き換えると、観光学科、国際ホテル学科、航空輸送学科の学生への参考となる業界用語集を編集可能と判断した。詳細については、下記を参照されたい。
婚礼披露宴から専門学校業界用語集の開発
 

LF4 類似 ソフト開発業務 4 ホテルと航空貨物のコンピユータ授業

昭和634月より国際観光専門学校東京校国際ホテル学科のコンピユータ実習非常勤講師となった。授業を八年継続したが、九年目より同校の航空輸送学科で「エアカーゴ」という講座が開設され、私が担当することとなった。国際ホテル学科と航空輸送学科で、コンピユータを使用しての講義である。航空輸送学科の学生には、縦40センチ、横30センチ、高さ20センチのカートンで重量1個8㌔とすると、内法で縦150センチ、横250センチ、高さ150センチのコンテナーに何個搭載できるか、その重量は?というのが1時間目の授業である。 同じ教室で次の2時間目には国際ホテル学科の授業となる。
 シングルが40室(料金1万円)、ツインが30室(料金1万7千円)、スイート(3人部屋)が20室で(料金2万5千円)、室料の10%の奉仕料がかかりこれに消費税がかかる計算、客室の稼働率が80%とすると、年間の客室、奉仕料、消費税はどの程度になるか、また年間の宿泊人数は、このようなのが授業である。 国際ホテル学科のコンピユータ実習の講師が、航空輸送学科の講師を担当するとき、国際ホテル学科での経験を航空輸送学科にも応用するわけである。 試験問題にはどのようなものを出題するかということを考えると、ホテルと航空輸送との共通点を探す必要がある。一般に各種学校の入学試験は英語、数学、社会、国語となっていると考え、次のような期末試験問題を考えた。各25点
1 英語・観光ホテル航空輸送業界用語
2 数学・前述のような計算問題 
3 社会・ホテルや航空輸送での業務知識 
4 国語・コンピユータ実習の成果物の概略説明

価格が
100円、消費税が5%とすると、消費税を含んだ価格は105円である。この計算は易しい。試験問題に消費税を含んだ価格が100円、消費税は円以下は切捨である。商品の価格と消費税は?このような問題の正解者は50%であろうという予測問題を作る。合計金額を1.05で割り、円以下を切り上げたものが商品価格で100円から商品価格を差し引いたものが消費税である。96円がネット価格で消費税は4円である。
 航空輸送学科の学生が通関士試験で、CIC計算で失敗した学生が多いときいた。工場渡しの価格FOBに、地上運送料や船運賃を加えたものを対象とした保険料込みの価格がCIFであるが、これに関税がかかる。逆にCIF価格から地上運送料や船運賃、保険料を差し引いたネットのFOBの計算が出題される可能性があり、これに失敗する学生は多いと予測できる。ホテル学科と航空輸送学科との出題には[税金]の計算がポイントである。 高齢者が専門学校非常勤講師となったとき、いままで担当してきたことを、パソコンで処理し、これを教材にしようするとき、教材の組み立て方が必要となる。このような捉え方も一例であろう。ホテルと航空貨物の仕事は、異なるが、類似点を探し、授業での体系化を計ることにより、異種類の授業を可能とした。                               

2008年9月26日 (金)

LF5 類似 ソフト開発業務 5 パソコンと電子交換機との接続

その一  成田エアポート・レストハウス
  成田エアポート・レストハウスには、六十一年四月にフロント会計システムを開発、納入していたが、同ホテルより六十二年十一月、使用中の電話交換システムを撤去して新たに電子交換機を導入したいとの連絡を受けた。
 客室から外部へ電話をかける場合、客室ごとのメータ計に電話の度数が表示され、夜間に客室料金や飲食代金を各部屋に付け込むとき、電話課金を手入力していた。
  電子交換装置を導入して各部屋の電話料金はプリンターで印刷し、更にフロント会計コンピユータと連動させ、毎日、夜間に自動的に電話料金を各室ごとに付けこみ、チェックアウト時に早朝で使用した電話課金があれば、自動的に会計書に追加記入をさせるシステムがホテル側の希望であった。
  数社の電子交換機で使用中のキャノン機種と連動する交換機として、富士通の電子交換機FETEX2700をホテルに推薦した。富士通より提供される電子交換機インターフェイスの仕様書が唯一の資料であった。
 富士通のコンピユータと電子交換機との接続を前提としていたのが富士通側のシステムであるため、キャノンのような他のメーカーの機種との連動の経験が富士通にもないため、接続の研究は大変苦労した。
  コンピユータと電子交換機とを結ぶインターフェイスRS232Cの接続方法から研究した。電話交換機を取扱っている富士通の千葉特約店は電話機販売業者であり、電子交換機と他社のコンピユータの接続方法はこれが最初であった。また通信手順という用語の解釈も不慣れであったので打ち合わせにかなりの時間がかかった。     フロント会計はBASIC言語でプログラムを作っていたが、電子交換機との接続命令に機械語が必要かもしれないと考え、キャノンに問い合わせたが、機械語が不要と判明したのは、二ヶ月後であった。富士通より接続の研究のためFETEX2500電子交換装置と数台の電話機が会社事務室に提供され、私は会社でホテルに導入したパソコンと接続して接続の研究を行った。
  三月十五日にレストハウスは新旧の電話交換機の入替を行いに、これに使用中のキャノンパソコンと接続した。通信機との接続にはホストコンピユータとしてのパソコンよりの電話課金の問い合わせよりの信号に応答しないケースがあり、この際、再度の照会を行うが、解答がなければ打ち切る処置を行わないと業務が進まないケースも発生する。この場合、結果的には電話課金の取漏れとなる。他機種との接続には電話交換機の欠陥、コンピユータの欠陥、接続のケーブルの欠陥、あるいは電圧に問題があるか、それともプログラムに問題があるか、責任を他社に転嫁できないことがある。電子交換機とパソコンとの接続には大変苦労した。

その二  札幌天神山ゲストハウス
 
平成二年四月、日本IBM㈱本社の地域プロジェクト開発部次長の田中宏武氏より連絡をうけ、札幌市国際部が設立する札幌天神山国際ハウスのフロント会計システムの開発を行うこととなった。
  客室規模としては十三室であるが海外から学者、技術者が札幌を訪問したときの長期滞在に向く家族単位の宿泊施設で天神山という丘の上に設置され、日本庭園や教育設備があり、他のホテルと異なるのは札幌市の条例によりホテルの消費税が免除され、売上はすべて札幌市の公金として計上することになっていた。
  二年四月二十三日より一泊二日の予定で空路、札幌に出張した。札幌市役所内会議室で国際部企画課職員、国際ハウス職員、IBMの田中次長、IBMの特約店㈱ホシ・伊藤の社員が出席した。この会議で一応、システム開発の方法が決定し、見積書をIBMの特約店に提出するが、会議出席者のホテルシステムに対する理解度により出張回数が決定するがこの会議に出席していないのは肝心の電話機器の納入業者であった。
  このプロジェクトをIBMと富士通とが入札でIBM機種が納入された場合、コンピユータと電子交換機との接続の話合ではIBMと富士通との話合は無理と考えた。この接続では富士通機種が経験的に最適と感じていた。今後の出張には富士通の電話機納入業者との折衝が重要となった。
  電子交換機の販売は電話機器の販売業者が行っており、通信手順という問題はコンピユータの接続と関係がなければ理解されておらず、大変な仕事であった。IBMパソコンと富士通の電子交換機との接続経験という点で意味がある出張であった。
その三 東京都内アリマックスホテル渋谷
  平成三年に日航関連会社㈱インターナシヨナルフーヅの専務取締役本間昭治氏より、アリマックスホテル渋谷の設立準備室長となった関氏を紹介されたことがあった。
 
ホテル側はホテルのコンピユータシステムも建設会社に依頼しているケースが多い。二十室程度のホテルでレストランやバーにPOSシステムを導入すると、コンピュータシステムが割高となる。小規模ホテルではこれはらシステムの使用頻度が少ない、そして移動が激しい職場でのコンピユータ教育は、あまり歓迎されない。ホテル側は経済性を考えてパソコンの導入を検討された。

  四年八月よりアリマックスホテル渋谷のコンピユータシステムの開発を担当するようになった。ホテルは渋谷のNHKの近所に設立される二十三室のホテルであったが、システムの開発コンサルチングとソフト開発の契約を行った。開発の対象はフロント会計、顧客管理およびホテル部門別会計経理システムであった。
   電子交換機の接続では富士通の交換機で特約店としては、成田レストハウスで共同作業を行った大崎コンピユータ㈱を推薦し、これが承認された。札幌でのIBM機種と富士通機種との経験を今回活かした。
    富士通の電子交換機との接続は今回が三回目であった。五年十月にホテルはオープンした。システムは順調に作動したので、保守のためホテルから呼び出されることは非常に稀であった。ホテルは自宅からバスで十五分の距離であり、歩いて四十分の距離にあった。沖縄、札幌と比較してきわめて近距離にあるホテルであった。
  以上のようにホテルフロント会計と電子交換機との接続には、技術的な問題が発生するため、接続に成功したシステムを新規顧客に提案するようにした。

MF1 古希よりのチャレンジ 1 建設事業計画プログラム作成

昭和六十三年四月に国際観光専門学校東京校国際ホテル学科のコンピユータ授業に必要なホテルフロント会計システムを開発、納入し、毎週水曜日に午前九時より午後四時までコンピユータ実習授業を担当した。

これは学校とソアレックス株式会社で講師派遣契約を締結し、ソフト開発を行った私が講師として派遣された。当初の実習はホテルフロント会計が主であったが、次年度からは学校側に提案し、宴会管理や食材管理などを実習に追加して教材の充実を図った。
 国際ホテル学科のコンピユータ実習講師を八年間継続していたが、九年目の平成八年四月からは航空輸送学科の[航空貨物]という授業を担当するようになり、[航空貨物]授業に必要なプログラムを開発、国際ホテル学科と航空輸送学科の授業を一年間担当した。

 平成九年三月、古希を迎えた。学校の授業内容の大幅な変更があり、私が担当したホテルフロント会計、宴会管理などの実務ベースのコンピユータ授業から、インターネットやパソコンを使える授業に切り替わった。ソフトとしては、Windows95を活用する授業となった。
 
昭和十六年四月に航空機乗員養成所に入所したが、六十九歳になって航空輸送学科の非常勤講師となったことは、きわめて意義があったものと思う。

 ホテルコンピユータソフト開発・販売をビジネスとして、ソアレックス会社を設立しており、一週間に一日だけは講師派遣契約により学校へ出勤しているが、その他の日は会社に出勤していた。共同出資会社のEX社はホテル建設のコンサルタント業務を行っており、ホテル建設事業計画の計算業務を依頼されていたので、下記のようなプログラムをBASIC言語で開発した。
DCFホテル建設事業計画
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