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2008年10月

2008年10月 5日 (日)

MF2 古希よりのチャレンジ 2 会社の事務所を自宅に

     昭和六十二年二月にソアレックス株式会社を設立した。事務所は港区赤坂三丁目十三番地の東相ビル七階で、共同出資社㈱エクスブレーイン(以後、EX社と仮称)の事務所の一角を借りていた。社員は私だけであるが、EX社の関連会社で同社の経理関係のソフト開発ならびに保守も行っていたので昭和五十四年より二十年にわたり取引関係にあった。
  平成五年十月にEX社は新宿区下落合三丁目四番十一号、三木宅の構内に移転し、ソアレックス㈱も三木宅に移転した。三木宅は古い建物であったが、戦後、皇太子殿下の英語の先生であったバイニング女史が住んでおられた家であった。平成十一年十二月まで、ここに六年間、会社の事務所として出勤した。

    三木宅は平成十一年四月に取り壊しとなり、ソアレックス㈱の事務所を杉並区高井戸一丁目の自宅に移転した。年齢が七十二歳となり、個人事業主もこの年齢が定年としして、その後の人生を考える必要性を感じた。

2008年10月 7日 (火)

MF3 古希よりのチャレンジ 3 IT&パソコン講習ボランチア5年半

 平成十二年二月ごろ杉並区でIT&パソコン講習のボランチィアが募集され、これに応募した。昭和四十四年五月より航空と海上との輸送方法比較でSOHO業者として独立、四十六年七月より現在のパソコンの元祖となるマイクロ・コンピユータのソフト開発と機械の販売に従事し、六十三年四月より国際観光専門学校国際ホテル学科のコンピユータ実習講師となった。
 
Window95が発表されていない時代ではソフトや機械を販売する取引先に対して、漢字などの入力方法を教える必要はないが、開発したソフトの説明では、メモ程度の知識でワープロ操作ができれば充分であった。
 専門学校のOA授業の講師を九年間従事したが、学生に日本語の漢字変換などを教えたことはなかった。これはワープロの講師が別に任命されており、私が開発したプログラムを学生が機械操作することにより、業務の流れを理解させることが、実務教育であった。
 平成十二年四月よりスタートした杉並区IT&パソコン講習会では、一クラスに二十名の受講者に対して講師一名、ボランチィア助手四名の構成であった。操作が不慣れの受講者をサポートする仕事であった。コースとしては一日三時間のコースで四回であった。 初年度は五十時間程度、講習会助手として従事した。
 平成十二年四月よりスタートした杉並区IT&パソコン講習ボランチィアは初級コースであり、十三年四月より杉並区内の図書館でパソコン講習補講講座に切り替わった。
 これは初級コースで理解できなかった人に対する補講で、私は属していた高井戸図書館では十台のパソコンで、ボランチィアが三名で毎週木曜日の午前九時から十二時、午後一時より四時を担当、特別な授業はなく機械操作や質問事項があれば、これに対応する。
  初級コースが前提であるため、表計算やデジカメなどの質問はあまり発生しなかった。十六年三月に各地図書館でのパソコン講習補講講座は終了した。十六年四月より杉並区高井戸地域センターで毎月、第二木曜日と第四日曜日に午前十時より午後五時までの間、パソコン相談室が開設され、十月まで相談員の仕事を継続した。  パソコンボランチアの仕事は五年六ヶ月従事したが、パソコンで発生する諸問題を研究し、質問があればこれに応ずるという相談員の仕事は年齢が高齢化すると記憶力が低下するため困難になってきた。
  このため単純労働の繰り返しである[自分史]の編集に方針を切り替え、[自分史永和会]での会員としての活動に専念することにした。
自分史の編集というのは、パソコンを道具として使用しているため、パソコンで自分がなれた方法で、[メモ]程度のソフトで、自分史を作りたいという意志があれば充分である。単純労働の繰り返しというのが記憶力減退の高齢者向きのパソコンの利用術である。

 

MF4 古希よりのチャレンジ 4 自分史永和会で自分史編集研究

 平成十二年四月よりスタートした杉並IT&パソコン講習会で地域社会のボランチィア活動に参加した。同年七月二十二日と二十三日に杉並区永福・和泉地域区民センター祭りが開催され、同センターに自主グループとして団体登録を行っている「自分史永和会」が展示会に出品していた。
 同じ展示室に書道の展示があり、家内が「自分史永和会」の会場で、パソコンの勉強会も行われるとのことで私にこの会に入会するように勧めてくれた。早速、入会した。
 八月二十日よりの会合から出席することとなった。最初の出席の前に私の自分史「生い立ちから終戦まで」を事務局担当山口氏に送付した。八月二十日の会合には私の自分史を同氏が朗読してくれました。当日、午後三時より暑気払いを兼ねての懇談会があり参加した。平成廿年九月まで例会は九十八回あり、全部、出席した。
 事務局を担当する山口氏が平成十四年三月から八月まで六ヶ月間、バンコックへ会社の業務で長期出張することになり、また平成十八年八月より十九年一月までの六ヶ月間、ヨルダンのアンマンに会社の業務で長期出張となる。このため、会計と事務局とを担当するケースが発生した。山口氏の海外出張の余暇にデジカメで撮影された映像とレポートとが、週に二回程度会員に送信されるが、インターネットを利用していない会員もあるため、送付資料は私のパソコンにダンロードして、センターより借り受けた液晶プロジェクターで内容の紹介を行った。
 平成十六年九月より十八年十二月までの二年四ヶ月、自分史永和会の代表になった。十九年一月より代表は山口氏、会計担当は私、事務局は高橋氏となり、山口氏の海外出張での会の運営の円滑化を図るため改選を行った。研究会は第二日曜日の午前九時より十二時までであるが、発表できる資料を常時、準備しておく必要がある。自分史の作成経過を研究会でしばしば発表している。

2008年10月 8日 (水)

MF5 古希よりのチャレンジ 5 ホームページ基本容量の推移

 パソコンの「メモ」程度のソフトを使用してワープロ練習を始めたのが昭和633月ごろであった。最初の作文とし、小学校時代から還暦までの約50年間の出来事を、400字詰めの原稿用紙に100枚程度を書き全角で1行に38文字、38行というパターンで1話1頁に50頁程度を書いた。その後、時間を見つけては文章の追加を行った。当時のことでCDやデジカメ、スキャナーが開発されていなかった時代であり、3.5インチFDに格納した。
  練習を開始して2年後には自分史を1話から112話まで拡大し、3.5インチFDの使用容量は約380キロバイトになった。文章で文字の修飾をしなければ、A4判で1000文字程度なら3キロバイトが平均値となっていることが判明した。これでも3.5インチFDの容量1400キロバイトの3分の1であり、鮮明な写真1枚を格納すると、数枚の写真で3.5インチFDは占領されるが、文章はあまりメモリーを食わない。この380キロバイトの自分史をホームページにアップロードするために、HTML言語を使用すると4倍程度の1300キロバイトになったがこれが、私の自分史の基本ファイルである。
   
CD-R/RWが出現し、スキャナーが発売されると、太平洋戦争時代に在学していた航空機乗員養成所の集合写真をパソコンに組み込んだのが平成11年ごろであった。一般の中学生と異なり、全員、揃いの軍服を着た童顔の少年の集合写真を大切に保存していた。入所願書に添付した写真、どのような募集広告をみて応募したか、理科、国語、数学の3科目の試験問題もスキャナーでパソコンに取り込んだ。
  インターネットを行うためプロバイダーに申し込んだのが平成128月であった。このとき基本料金で提供されるホームページの基本容量は10メガバイトであった。IDSNを使用しており、ホームページへのアップロードが不慣れのため、アップロードするための操作では、通常の電話料金を負担するため、内容の更新はあまりできなかった。また文字化けの処理に苦労した。
 平成161月よりASDLに切り替え、ホームページへの内容の充実を図ってきた。自分史は登録ファイルを2種類にした。ホームページ用で10メガバイトの自分史とCD-Rの650メガバイト使用の自分史であった。
 ホームページの基本容量が10メガバイトより20メガバイトに引上げられた。更に平成18年には100メガバイトが基本容量となった。
 自分史のデータのファイルが昭和63年においての380キロバイトから、20年後の平成20年において、約300倍の100メガバイトに拡大された。
 A4版で1枚に1000字程度の自分史の文章を400枚格納すると、平均110㌔バイトとすると約10メガバイトで基本容量の1割に相当し、かなりの容量が使用できる。

平成128月より自分史永和会に入会しているが、毎月第2日曜日の午前9時より12時まで例会が開催、これに出席している。今月で99回の出席となる。
 永和会での研究報告では、毎回、私は約30分間、自分史の内容を披露している。その資料となるのが、下記の私のホームページである。
 太平洋戦争と戦後の情報処理実務体験記
 ホームページは内容の更新を行わないと、見る人はきわめて少なくなる。アクセスカウンターにより、ホームページをみた人の数は把握できる。12年から179月までの6年間では100件程度であり、これは1年で20件程度であった。これを如何にして増加させるか?一つの課題であった。

NF1 ホームページ情報源 1 同期会への出席

  小学校、中学、高校、専門学校、大学と進学している人においては、それぞれの学校のクラスメートが発生し、同窓会の案内を受けることが多い。私は同窓会の出席では小学校が二回、高等小学校がゼロ、中学および高校に相当する航空機乗員養成所が三十五回、専門学校と大学が五回程度であり、航空機乗員養成所の同期生会に出席した回数がきわめて多いのが特徴であった。
 航空機乗員養成所は仙台、新潟、印旛、米子および熊本の五ヵ所に設置されており、昭和十六年四月に
各々六十名が入所した。入所して三年間は普通学科で、四年生より操縦科は米子、整備科は新潟に転属することになり、終戦の時点では入所時の九割に相当する約二百八十名が同期生であった。
 戦後、開催された同期生会は最初に入所した養成所ごとに開催されたが、戦後、四十六年経過した平成三年に五ヵ所の養成所の同期生の合同の全国三期同期会が発足した。
 米子本科三期生会は毎年一回開催され、これに出席していたが、還暦より新たに全国組織での同期生会が毎年一回開催されるようになった。米子出身の同期生で東京二十三区に居住しているものは私だけであり、全国組織における連絡会議には出席せざるを得なかった。
  従来、継続していた米子三期生会に還暦より、新たに全国組織の同期生会が発足した。還暦前の米子同期生会は発足して三十二年間で十回、これに対して還暦から十六年間で米子三期生会が十四回、全国大会が十一回で、合計二十五回で、これは還暦前と還暦後とは、同期生会の開催が五倍に増加したことになった。
 東京在住の人が、東京の学校を卒業して同期生会に出席するのと異なり、三期生の卒業生は約二百八十名で同期生の居住地が北海道から鹿児島まで分散しており、戦後六十年経過した時点で、消息が判明している同期生は約百五十名であった。
  全国
同期生会の開催は、各地の同期生が世話人となって、持ち回りで行っていたため、私が出席した米子本科三期会と全国大会での開催地は米子皆生、玉造、三朝、岡山、倉敷、坂出、湯田、別府、福岡、京都、東京、新潟、仙台および札幌であり、旅行友の会的な色彩の強い同期生会であった。
 記念写真には開催年月日と同期生会開催番号が表示されているので、自分史の作成においては有効な資料となった。米子の同期生会が発足したのは、戦後十年経過した昭和三十年九月であった。同期生会には多数の教官、職員も出席されており、戦時中知らなかった情報も教官あるいは同期会幹事より提供された資料で判明した。
養成所入所当時の募集広告、入所試験での国語、数学、理科の諸問題、応募人数と合格者数、入所願書に添付した十三歳の自分の写真も保存しており、自分史の出発点となる少年時代というのが文章に綴りやすいというのが私の自分史の特徴である。
 
米子三期会には総務幹事として松本好信氏、全国大会には事務局担当として高野弘行氏がおり、これらの同期生会幹事から送られる資料をスキャナーでパソコンに取り込めば、自分史での少年時代とその後の同期生という物語が書ける。
 全国三期生会は平成十三年六月
、第十一回を北海道定山渓温泉賞月グランドホテルで開催、これで解散となった。また米子本科三期会も平成十七年九月、北九州脇田温泉ホテル菊水閣での第二十四回同期会で解散となった。このとき有終の美を飾るため、「米航養本科三期生情報」なるものを編集、会員三十名に発送された。私はこの三期生情報に同期生会の記念写真をスキャナーでとり、これを私のホームページにアップロードした。
 米航養本科三期生情報

NF2 ホームページ情報源 2 同期生会開催地

昭和十六年四月から航空局米子航空機乗員養成所本科三期生として入所、十九年三月航空機乗員養成所へ転属、二十年八月に終戦、九月に五学年課程を卒業した。それから八年後の二十八年四月に、阪急電鉄㈱代理店部福岡営業所で勤務することになり、二年後の三十年九月に同期生会が米子で開催された。
 同期生会の第一回および第二回は福岡営業所に勤務していたころで、第三回は阪急を依願退職して四年後で、自営業としての記録である。
時期      行先 事由
三○年 九月 米子 皆生温泉鉄道康生寮(第回米子三期会) 
三五年 九月 米子 皆生温泉鉄道康生寮 (回米子三期)
四八年 五月 玉造 松江、出雲大社(第3回米子三期会)
五○年一○月 米子 境港、鳥取市、岡山市、第4回米子三期会)
五一年  六月  米子 航空機乗員養成所記念碑建立式典出席  
    九月  岡山 乃利武(第1回米子本科生同窓会)
五五年一○月 米子 皆生温泉八方園(第5回米子三期会)
五八年一○月  別府 旅館ふじの(第6米子三期会)
六○年一○月 鳥取 三朝温泉大橋旅館(第米子三期会)
六二年一○月 島根 玉造温泉ホテル玉泉(第8回米子三期会)
平元年  九月 坂出 なぎさ、瀬戸大橋完成(第9回米子三期会)
  二年 四月 京都 堀川会館(第回三期全国大会)
 
三年 四月 米子  皆生温泉旅館 (第10回米子三期会)
 
三年 九月 東京 麹町会館(第2三期全国大会)
 
五年一○月 皆生 温泉会館(第12回米子三期会)
 
六年 五月 新潟 ホテル湖畔(第5回三期全国大会)
 
八年  五月 松島・ホテル大観荘(第8回三期全国大会)
一一年 六月 横浜 中華満珍楼(第三期全国大会)
一一年一○月 皆生 温泉つるや(第18回米子三期会)
一二年  六月 別府 花菱ホテル(米子三期会・全国大会)
一三年  六月 札幌 定山渓温泉章月(第11回三期全国大会)
一三年一○月 皆生  温泉松風閣(第2回米子三期会)
一四年一○月 倉敷 石山花壇(第21回米子三期会)
十五年一○月 米子 ホールサムイン皆生(第22回米子三期会)
一六年一○月 湯田 温泉ホテル田中(第23回米子三期会)
一七年 九月 北九州ホテル楠水閣(第24回米子三期生会)
これは学校を卒業して現在まで何をしていたかの自分史を書く時、同期生会への出席記録というのは、きわめて客観性に富んだ資料であった。

2008年10月 9日 (木)

NF3 ホームページ情報源 3 業務出張記録

 昭和28(1953)年4月に阪急電鉄㈱に入社し、平成5(1993)10月までの40年間の業務出張の記録である。昭和284月1日に阪急電鉄㈱の新入社教育で大阪西宮に出張し、14日間にわたる社員教育を受け、福岡営業所勤務となった。旅行業務で福岡に8年間勤務の後、東京貨物課へ転勤した。昭和44年(1969年)3月に阪急を依願退職し、5月に坂本システム研究所を設立した。同年、フライング・タイガー航空会社の非常勤社員となり、昭和48年(1973年)3月に退職した。ソニー、キャノンのパソコンの裏イング販売に従事し、ホテル関係ソフト開発を行いまた、システムをホテルに納入した。平成5年(1993年)10までの業務出張の記録である。
    時期  行先 事由
五三年 三月  西宮 阪急入社、新入社員教育
    四月       阪急電鉄株式会社入社
五四年 九月  沖縄 日航、福岡那覇線開設招待飛行
五八年 七月 神戸~横浜 APL汽船試乗
六二年 六月 イタリー&中近東へアリタリア航空招待
六九年 三月    阪急電鉄㈱依願退職
    五月    坂本システム研究所設立
六九年 八月 香港 日本海外旅行㈱の招待
    九月    米国貨物航空会社フライング・タイガー社員
   一○月  香港と台北 FT航空会社
   一一月  伊豆 富士見ランド ㈱中央電算研究所
   一二月  米国、ロスアンゼルス
七○年 二月  台北  航空貨物流通経費分析提案
    四月  米国、ロスアンゼルス、シカゴ
        七月         ソニーマイクロ・コンピユータ特約店契約
    七月  台北 FT航空会社の出張-

   一二月  京城 香港 航空貨物専門誌の取材
七一年  三月 台北、マニラ FT航空会社の市場調査
    九月 台北 航空貨物流通経費分析提案
    一一月 米国、ロスアンゼルス、フィラデルフィア
七二年一二月 広島 ソニー倉庫㈱の出張
七三年 三月    フライングタイガー航空会社退職
七四年 四月 名古屋、大阪、福岡、札幌  三井リース事業㈱
七五年 七月    キャノン販売㈱販売店契約
七七年  六月 熱海 熱海温泉金城舘  キャノン販売店表彰式
七九年 七月 箱根 湯河原まとい荘、キャノン販売店表彰式
八二年 四月 福岡 第一ホテル、フロント会計
    六月  米国、グアム第一ホテル、フロント会計ソフト
   一○月  富山 第一ホテル、フロント会計
八三年 二月  筑波 筑波第一ホテル、フロント会計
八四年 六月 米国、英国、仏国、ホテル視察団同行
八五年 一月 鹿児 城山観光ホテル、システム講習
    三月  那覇 ホテルサン沖縄、沖縄へ五回出張
八六年 三月  成田  エアポート・レストハウス
    四月 長野 中門ホテルへセールス 
    八月 那覇 ㈱国建 ホテル建設収支計算で出張
八七年 一月  富山 第一ホテル富山保守サービスで出張
    二月    ソアレックス㈱設立
          日本IBM㈱ソフト登録店
   一○月 沖縄 石垣グランドホテルへ、四回出張
八八年 四月 京都 第一ホテル京都、七回出張
   一二月 沖縄 石垣グランドホテル、四回出張
八九年 三月  東京 ロイヤルパークホテル日本橋、納品
    四月  成田 成田エアポート・レストハウス、納品
   一一月  成田  成田ウインズホテル宴会会計
九○年 五月  札幌 天神山国際ゲストハウスへ七回出張
   一二月  大阪 JALデータ通信㈱大阪支店へ
九一年一○月  晴海 東京浦島ホテル、説明会
一一月  札幌 京王プラズホテルでIBM研修講師
   一二月  石川 和倉温泉加賀屋(ホテル浦島社員研修)
九二年 二月  三重 浦島ホテル、勝浦、串本ホテル、説明会
   一○月  札幌 アリマックスホテル札幌開業招待
   一二月  札幌 アリマックスホテル札幌業務監査
     六月  大阪 大阪外語専門学校でデモ
九三年一○月  渋谷 アリマックスホテル渋谷ソフト開発
          以上

NF4 ホームページ情報源 4 居住地、学校、勤務地の記録

 何処に住んでいたか?どの学校に通学していたか?勤務先の所在地は?記憶が確かなうちにパソコンに登録しておくことにした
その一 居住地
西暦   自  西暦   至 摘要
二七年 三月 四一年 三月  福岡市中央区桜町二○番地
四一年 四月 四四年 三月 鳥取県米子市両三柳   米子航空機乗員養成所
四四年 四月 四五年 五月  新潟県北蒲原郡松ケ崎 新潟航空機乗員養成所
四五年 六月 四五年 八月 三重県明野陸軍航空隊へ出張(整備実習)
四五年  八月 五七年一一月  福岡市中央区桜町二○番地
五七年一二月 五八年      福岡市高砂町
五八年    六一年 七月  福岡市中央区平尾浄水町
六一年 八月 六一年一○月 渋谷区渋谷一丁目阪急美竹寮(単身赴任)
六一年一一月 六二年 八月 世田谷区自由が丘九品仏(家族同居)
六二年 九月 六九年 四月 渋谷区渋谷一丁目阪急美竹寮
六九年 五月 九九年一二月 渋谷区初台一丁目四十八番五の三○四号
九九年一二月 現在     杉並区高井戸西一丁目十三番の一号
その二 学校
西暦   自  西暦   至 摘要
三三年 四月 三九年 三月 福岡市立春吉尋常小学校
三九年 四月 四一年 三月 福岡市立福岡男子尋常高等小学校
四一年 四月 四五年 九月 逓信省航空機乗員養成所本科三期生、米子と新潟
四八年 四月 五三年 三月 福岡市西新町、西南学院専門学校&大学英文科
その三 勤務地
西暦   自  西暦   至 摘要
四五年一○月 四五年一二月 福岡市博多郵便局横島津製作所ビル 米軍民間検閲局
四六年 一月 四六年 四月  福岡市博多区呉服町第百生命ビル  米軍民間検閲局
四六年 五月 四七年 六月  福岡市中央区天神、千代田生命ビル 米軍民間検閲局
四七年 七月 四九年一○月  福岡市中央区天神、松屋ビル    米軍民間検閲局
四九年一一月 五○年 三月  福岡市中央区天神、        福岡公共職業安定所
五○年一一月 五三年 三月  福岡市東区雁の巣          米軍憲兵隊
五三年 四月 五五年 九月 福岡市博多区東中洲、親和銀行内  阪急交通社
五六年    五八年        福岡市博多区東中州、福岡宝塚会館 阪急交通社
五九年    六一年 七月  福岡市博多区東中州、福岡東宝劇場 阪急交通社
五四年    五九年    春日市春日原、米軍基地輸送部隊内 阪急交通社
六一年 八月 六二年 三月 千代田区有楽町(帝国劇場敷地)   阪急交通社
六二年 四月 六二年一二月 千代田区有楽町(電気ビル)     阪急交通社
六三年 一月 六三年一二月 千代田区有楽町(帝国劇場敷地)   阪急交通社
六四年  一月 六九年 三月 港区品川埠頭阪急交通貨物ビル   阪急交通社
六七年 四月 六九年 四月 港区田村町阪急交通社東京ビル   阪急交通社
六九年 五月 七六年 三月 中央区兜町         ㈱中央電算研究所
六九年 九月 七三年 三月 千代田区永田町山王グランドビル フライング・タイガー航空
七○年 七月 七三年 三月  品川区北品川、ソニー倉庫㈱
七五年  四月 八五年 三月 品川区北品川、ソニーサービス㈱

八七年 二月 九三年一○月 港区赤坂三丁目十三番七号   ソアレックス㈱
九三年一一月 九七年 三月 新宿区下落合三丁目四番十一号 ソアレックス㈱
九九年一二月 現在     杉並区高井戸西一丁目十三
番一号
   
            以上

NF5 ホームページ情報源 5 学校、勤務先、取引先への投下月数推定 

昭和十六年四月に航空機乗員養成所に入所し、航空運航関係の学習を行った。戦後七年経過した二十八年四月より阪急電鉄㈱に入社、代理店部で旅行業務と貨物業務に従事し、阪急退社後は米国貨物専門航空会社に約四年従事した。パソコンの元祖、マイクロ・コンピユータの販売とソフト開発に従事、航空会社、代理店およびホテル業界をマーケットとした。   
一 航空との関連         場所                 投下月数
       自         
    六年 四月 一九年 三月 米子航空機乗員養成所     三六
一九年  四月 二◯年 五月 新潟航空機乗員養成所整備  一四
二○年  六月 二○年  八月 三重県明野陸軍航空隊整備   
二七年一二月 三六年 七月 阪急交通社(福岡)         一○七
三六年  八月 四四年 四月 阪急交通社(東京)                九三
四四年  五月 四六年  三月 日本海外旅行㈱航空貨物      
四四年  六月 四八年  三月 フライングタイガー航空会社  三○
四六年  一月 四七年一二月 ルフトハンザドイツ航空会社    
四五年  七月 四八年  三月 ソニー倉庫㈱航空チーム      
四七年  一月 四八年  三月  航空機メーカーボーイング    
四九年  四月 四九年  七月 運輸省航空機騒音証明         四
四九年  四月 五六年一二月 日本航空                 
五二年  四月  五六年一二月 東亜国内航空               
三九年  一月  平三年  三月 航空関係業界誌           
六一年  一月   八年  三  新東京国際空港内ホテル    
平六年一○月   八年  三月 社団法人国際交流サイビス協会  
  八年  二月   九年  三月 国際観光専門学科航空輸送   
                          合計                 三三五

二 ホテル業務関係                             投下月数
        自          

五四年  一月平三年 三月  東京第一ホテル関係        一八
五八年  一月一○年 三月 EX社ホテル関係ソフト        一八
六○年  三月 六年 三月 ホテルサン沖縄               
六一年一二月 五年 三月 成田エアポートレストハウス     
六二年一○月 三年 三月 石垣グランドホテル            
六三年  一月 九年 三月 国際観光専門学校ホテル科   三六
六三年一二月 六年  三月 箱崎シチィターミナルホテル     
平一年  六月 八年 三月  成田ウインズホテル           一二
  二年  四月 八年  三月  札幌天神山国際ゲストハウス   
  四年  八月 八年 三月 アリマックスホテル渋谷        
                         合計                   一一五 

三 米国と関係があった処  場所                  投下月数
                 
二○年 九月 二八年 三月 米軍検閲局、空軍憲兵隊    七八
三○年      三五年 三月 米軍、阪急板付事務所      二四
三二年       三六年  六月  米国福岡領事館                二
四四年 五月  四八年 三月 フライング・タイガー、ボーインク  ゙   四七
                         計                  一五一

                            

2008年10月10日 (金)

PF1 ソフト開発備忘録 1 阪急交通社在職16年

1953年(昭和28年)4月、阪急電鉄㈱に入社、代理店部福岡営業所の旅客係になり、8年間、国内および海外旅行業務に従事した。1961年(昭和36年)7月、東京貨物課に転勤した。19623月、国際業務部第3課貨物係長となり、1963年1月に貨物部業務係長となった。会社でコンピユータの導入の話があり、定期的な業務を持たない私が、兼務として担当することとなった。富士通の小型電算機 FACOM 230-10のプログラムの講習会に出席して、プログラム作成方法を勉強した。開発ソフトは、下記の通りである。
 自分史とソフト開発(阪急交通社)


お知らせ:このたび、このブログの姉妹編として、下記のブログをアップロードいたしました。ぜひご覧ください。

 新規業務への研究

PF2 ソフト開発備忘録 2 航空会社専門職社員

19694月に㈱阪急交通社を依願退職した。19695月、坂本システム研究所を設立、㈱中央電算研究所顧問となった。米国航空機メーカーマックドナルド・ダグラスからの招聘で永住渡航の申請を行った。9月より太平洋線に新規に乗り入れを開始した米国貨物専門航空会社フライング・タイガーから、航空貨物マーケッチングでの仕事を依頼され、同社の専門職社員となった。開発ソフトは、下記の通りである。

 自分史とソフト開発(航空会社社員)

PF3 ソフト開発備忘録 3 総合商社へ機械販売とソフト開発協力

19694月、㈱阪急交通社を依願退職し、9月に米国航空会社フライング・タイガーの社員となり、翌年7月にソニー倉庫㈱航空チームの嘱託となった。19717月、 ソニービジネスマシン㈱の特約店となり、ソニーのマイクロ・コンピユータSOBAX ICC-2700機種の販売を行うこととなった。197110月より総合商社三井物産㈱業務部営業統括室と共同でマイクロコンピユータのソフト開発。機械販売を行った。開発ソフトは下記の通りである。
 

自分史とソフト開発(総合商社)

PF4 ソフト開発備忘録 4 料飲とリース事業

 1971年7月にソニーのマイクロ・コンピユータの特約店となった。米国航空会社フライング・タイガーは専門職社員であるため、他の企業との兼職が認められており、パソコンを利用して新規業務の処理を行った。
 1973年3月末でフライング・タイガー航空会社との雇用契約は終了、このため、ソフト開発の仕事に専念することになった。その頃の開発ソフトは下記の通りである。
 
自分史とソフト開発(料飲とリース事業) 

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 新規業務への研究

PF5 ソフト開発備忘録 5 一般企業とホテル

 ソニーは電卓部門から撤退するという新聞発表をしたのが1973年4月であった。ソニーのマイクロ・コンピユータのプログラム作成ではソニーの指定店となった。1975年7月よりキャノン販売㈱の販売店となった。当時、販売店でソフトウエアの開発に取り組んでいるところが少ないため、キャノン販売㈱やキャノン販売店からソフト開発を依頼されるケースが発生した。パソコンが1台、販売価格が10万円以下となると、機械販売だけで採算を取るのが難しい。この時代、パソコンの価格は100万円台であり、ソフト開発に投入できる費用を捻出できた時代であった。
 その頃の開発ソフトは下記の通りである。
 自分史とソフト開発(一般企業とホテル)

2008年10月11日 (土)

PF6 ソフト開発備忘録 6 ホテルソフト専門

 1975年7月よりキャノン販売㈱のパソコン販売店となった。航空産業において、航空旅客の予約管理、航空貨物通関システムなどは、通信が絡んでいるため、SOHO業者が取り組めるシステムではない。
    ホテルやレストランにはフロント会計、予約管理、経理、償却資産、食品材料管理などがあり、小規模SOHO業者向きのソフト開発が存在すると考えた。
  1981年12月に東京第一ホテルより、100室前後の小規模ホテルのフロント会計ソフト開発を受注した。これを契機として、ホテルのソフト開発の仕事が多くなった。
  1987年2月に坂本システム研究所を個人組織から会社組織にしホテル・レストランへの小型コンピユータソフト開発専門業者となった。
   会社設立前後の開発ソフトは下記の通りである。
自分史とソフト開発(ホテル産業) 
   

PF7 ソフト開発備忘録 7 ホテル専門学校講師

 1988年4月より国際観光専門学校東京校へホテルコンピユータ実習のため教材開発と授業を担当した。また、一般ホテルにもソフト開発とパソコンの販売を行った。
 その頃の開発ソフトは下記の通りである。
自分史とソフト開発(ホテル学科講師)

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新規業務への研究

PF8 ソフト開発備忘録 8 還暦以降(学校と会社)

 国際観光専門学校東京校国際ホテル学科のコンピユータ実習非常勤講師は1988年4月より行っていたが、9年目の1996年4月から新しく発足した授業として講座[エアーカーゴ]を担当した。このため、従来、開発したソフトを学校に設置されている東芝パソコンに利用できるように再開発した。また1996年の後期の授業では学校のパソコンのOSがWindows95に切り替えられたため、すべての実習用プログラムも再開発する必要があった。その頃の開発ソフトは下記の通りである。
自分史とソフト開発(還暦以降)

PF9 ソフト開発備忘録 9 ソフト商品カタログ

   日本IBMに於いてはソフトハウスがプログラム用に日本IBMのパソコンを購入する場合は機械販売価格の45%の割引となっていた。このため日本IBMには、どんなソフトを開発したかの報告を行っていた。
  ソフトウエアの資産を、次に機種に継承するにはプログラム開発労働投下時間が多いもの、金額的には可なりの利益があったものが前提であるため、ここに紹介する資料はソフトウエア開発会社としては、参考となるものと思われる。
カタログ登録ソフトと開発依頼先

PFA ソフト開発備忘録 A 備忘録のまとめ

  ホームページの基本料金でカバーされる容量が、8年前は10メガバイトであったが、現在ではその10倍の100メガバイトに拡大されている。
  昭和42年に阪急交通社で富士通小型コンピユータFACOM230-10が導入された。2年間、電算機業務に従事、その後、阪急交通社を依願退職した。自分史を作成するときどんなプログラムを作成したか?これは業務経歴であるが、[ソフト開発備忘録]として、下記の区分にわけて、目次を紹介した。
①阪急交通社在籍
②航空会社専門職社員
③総合商社へ機械販売
④料飲とリース事業
⑤一般企業とホテル
⑥ホテルソフト開発専門
⑦ホテル専門学校講師
⑧還暦以降
 私のホームページにはソフト開発の備忘録を格納しており、上記の備忘録の明細を紹介するために、私のホームページへリンクさせた。昨年の8月15日より本日までブログにアップロードした件数は720件となり、ホームページの中に、文章を書くために必要な資料を保存させていることは、ホームページの有効な利用方法である。
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新規業務への研究
  

2008年10月13日 (月)

QF1 自分史の編集計画 1 還暦の時点での自分史作成着手

  会社を退職したのは昭和四十四年四月で、個人企業として18年、コンピユータのソフト開発を行っていた。自宅に設置したパーソナル・コンピユータは、当時二百五十万円の機種でリース会社よりリース物件として借受け、月額約五万円を支払っていた。
 
六十二年二月、会社を設立し、自宅で設置したコンピユータは、あまり使用しなくなったが、リース物件は途中解約すると解約料が高いので、引続いて使用することにした。機械の対象業務として、自分史の編集を行うことにした。
六十三年四月より國際観光専門学校の講師となり、授業の資料を作成するにはワープロを使用するため、パソコンを使用してワープロの練習を行う必要性を感じた。
 四月末の連休より自分史を書くことにした。休日あるいは会社から帰ってきて、文章の作成にとりかかった。余暇の利用方法としての自分史の編集は作文、手を動かす訓練、過去の記憶を蘇えさせるという効果はあると考えられる。
 自分史の作成を計画したとき、これには根気が必要で、これは今後の仕事にも重要なことであるので、この点からも自分史をワープロで作成することは意義があった。自分史を書くためにワープロの機械を導入するのでなくて、月額五万円のリース料の支払を有効にするための対策であった。最初に四百字詰めの原稿用紙に鉛筆で二百枚程度書き、三十八字X三十八行を一頁として一話ずつにわけ約五十頁の文章を作成した。ワープロ文章の作成時間を入れると約千時間かけたことになる。
  六十四年一月六日、昭和天皇が崩御された。この日から毎日の如く、テレビでは昭和時代というものを特別企画として放映されていた。私は昭和になって四ヶ月目に誕生したため、昭和というのは大変意味をもっており、自分史のワープロ作業とオーバーラップさせながら、テレビや新聞記事をみていた。
一月八日、年号は平成となった。二月末には一応自分史の編集は終了したが、その後、自分史の内容を訂正、加筆した。下記は自分史の概略である。
自史 頁数 容量 内容

第1章 7頁 13.3K 航空機乗員養成所、整備
21237.2K  米軍日本人従業員、
3  7頁18.1K   阪急交通社福岡、旅行業務
4  8頁33.5K    阪急交通社東京、貨物業務
第5章 5頁19.5K  阪急交通社電算機導入企画
第6章 820.6K 阪急交通社電算機&貨物企画
7 836.7K 自営業&航空会社非常勤社員
第8章 10 29.6K  ソニーマイクロ・コンピユータ特約店
第9章1245.6K  キャノン販売㈱パソコン販売店
第107
 19.9K   ホテルコンピユータソフト開発・販売 
 計 84274. K

  一つの物語を頁と呼称しているが、この84頁の文章は印刷すると100頁の文章になる。入力に使用したソフトは「メモ」程度のもので、3.5吋のFDの容量が1,400Kバイトであるので、デジカメで撮った一枚の写真が300Kとすると、これとほぼ同じ容量である。ホームページの基本料金でカバーされるバイト数は00メガバイトで、私の自分史は文章なら1メガバイトの容量で十分である。使用可能な容量は99メガバイトであるため、ここで追加投入する資料を吟味する必要があった。

2008年10月14日 (火)

QF2 自分史の編集計画 2 参考資料を追加

ホームページの基本容量が100メガバイトに拡大された。画像を組み込まない私の自分史は100頁の作文でも下記のように1メガバイト以内であった。

自分史 頁数  容量  内容

第 1章 7頁、13.3K  航空機乗員養成所、戦闘機整備
2 12頁、37.2K  米軍日本人従業員、大学英文
3 7頁、18.1K  阪急交通社福岡、海外旅行
4章 8頁、33.5K  阪急交通社東京、航空貨物
第 5章  5頁、19.5K  阪急交通社電算機導入企画
第 6章 8頁、20.6K  阪急交通社電算機&航空貨物
7章  8頁、36.7K  自営業&航空会社非常勤社員

第 8章10頁、29.6K  ソニーマイクロ・コンピユータ特約店
第 912頁、45.6K  キャノン販売㈱パソコン販売店
10  7頁、19.9K  ホテルコンピユータソフト開発・販売 
 計    84274.
K

ホームページの容量では、99メガバイトを使用できるので
、下記のファイルをホームページに組み込むようにした。
    .

区分

MB

 

A

上記の自分史に画像組み入れ

31

 

B

自分史作成研究

5

 

C

私の16ビック話題

5

 

D

航空界の広報と提案

12

E

画像自分史

15

画像

F

海上と航空輸送方法比較

25

活字

G

パソコン国際会議

8

活字

H

専門学校教科書

5

活字

I

ホテル建設計画支援

2

活字

J

DCF建設事業計画

4

活字

K

マイクロ・コンピユータ・アラカルト

4

 

L

ビジネスソフト開発研究

1

M

米航養本科3期生情報

6

活字

N

その他

2

125

上記のファイルで、実際にホームページにアップロードしたのは98メガバイトであった。私のホームページのメニュー画面となっているには下記の通りである。

太平洋戦争と戦後の情報処理実務体験記

2008年10月15日 (水)

QF3 自分史の編集計画 3 使用パソコンと周辺機器環境

   自分史の編集を開始したのは昭和63年(1988年)であった。SOHO業者として独立したのは昭和44年(1969年)で現在のパソコンの元祖となるマイクロ・コンピユータが発売されたのは昭和46年(1971年)であった。
  パソコンの販売先は企業であり、業務用のソフトを開発しての機械販売であったが、技術革新のテンポが速いため、パソコンの利用年数は、法定耐用年数よりも短い4~5年程度であった。
  下記は私自身が保有したパソコンと周辺機器のリストである。

機械とインターネット環境

設置

廃棄

使用期間

1

ソニーマイコンSOBAXICC-2700

1971

1976

5

2

キャノンパソコン SX100/300

1975

1978

3

3

キャノンSMALL COMPUTOR BX-11

1978

1981

3

4

キャノンパソコン AS100/AS300

1982

1986

4

5

キャノンパソコン AS300-II

1987

1992

5

5

IBMパソコン55305540

1987

1993

6

6

IBMノートパソコンTHINKPAD

1994

2001

7

7

IBMデスクトップ APTIVA2165

1999

2004

5

8

富士通パソコンFMV95L

2002

2007

5

9

DELノートパソコンINSPIRON1300

2006

使用中

10

富士通パソコンBIBLO NF75Y

2008

使用中

11

プリンターエプソン

1999

2003

4

12

キャノンプリンター BJC465

2001

2007

6

13

キャノンプリンター PIXUS

2003

使用中

14

キャノンプリンター  MP610 

2008

使用中

15

キャノンスキャナー 600F

2007

使用中

16

外付けCD-RW

2001

2004

3

17

NIFTY インターネット

1999

使用中

18

電話回線ISDN

2000

2003

3

19

電話回線ADSL

2004

2007

3

20

電話回線ひかりONE

2008

使用中

21

ホームページ基本10メガバイト

1999

2004

5

22

ホームページ基本20メガバイト

2004

2007

3

23

ホームページ基本100メガバイト

2007

使用中

  上記のようにホームページの基本容量が10メガバイトからその10倍の100メガバイトに拡大された。これを100%活用しようとすると、使用年数が古い機械を修理して継続使用するよりも、この際、買い替えたほうがよいと判断した。
   新しい機械の利用方法としては私は自分史の作成が最適と判断した。

QF4 自分史の編集計画 4 自分史永和会での勉強会

 平成12年8月から杉並区永福・和泉地域区民センターに自主グループとして登録されている[自分史永和会]に入会した。毎月第2日曜日の午前中の3時間、会員同士でパソコン関係の質疑応答、ワープロ作品の紹介を行っている。
  各々の会員が約25分間、自分で作成したA4版5頁程度の資料を配布し、これを朗読している。平成18年1月に会員の高橋直之氏が[ブログ]なるものを紹介された。私はホームページを作成していたので、[ブログ]にはあまり関心がなかったが、紹介されて1年半経過した19年8月より[ブログ]をはじめることにした。これは勉強会へ出席したために、[ブログ]なるものを知るきっかけとなった。
  自分史研究会に入会して平成20年11月で、私の出席回数は99回で、少年時代より現在までの自分史を毎回、発表している。これは、[ブログ]へアップロードする下書きが作られているため、昨年8月より現在までの投稿数は798件であった。下記は、すぎなみ地域活動ネットに登録されている[自分史永和会]のサイトである。
 [自分史永和会]

 

QF5 自分史の編集計画 5 ブログ利用の利点

   平成19年8月より、ニフテイの[無料ブログ]にアップロードした。20年10月の時点では704ページ(話題)を公開した。どのページに訪問者の関心があるか?訪問件数が10以上のものを、多い順番に並べたのが
下記の表である。この表は、左より①最初に登録した年月、②ブログの話題、③訪問人数および④訪問件数となっている。
  私のブログで、最も件数が多いのが、平成19年8月に登録した[航空混載貨物]で、訪問人員が205名、訪問件数は288件となっている。第2位がホテル経営計画支援、ホテル建設事業計画で、訪問人数は184名、訪問件数は238件である。
  この表の下段には合計欄があり、人数は3,511名、訪問件数は、5,078件である。各話題の訪問件数が10以下は、この表には記載されていないが、約15,000件が訪問件数と思われ、全体の3分の1が表示されていると思われる。
 ブログでどんな題材に関心があるかを?知ることができ、これによって、ブログの各頁の名称を検討することができる。
 

 
 

登録

ブログの話題

人数

訪問

1908

航空混載貨物

205

288

1910

経営計画:ホテル建設事業

198

256

1912

兼業兼務

110

218

1912

画像自分史

34

212

1908

航空・コンピユータ関係専門誌

127

192

1908

航空代理店業界

124

190

1909

専門学校パソコン授業

139

183

1908

航空機材パレット積付

117

159

1911

海外旅行市場分析

106

152

2001

団塊の世代

73

151

1908

脱サラ

78

135

1908

大学英文科

92

133

1908

武士の商法(ソフトビジネス)

110

130

1909

ホテルリネン管理

96

120

1908

ブログ作成

64

119

1908

専門学校国際ホテル科

90

108

1910

ソニーマイコン

68

101

1908

電算機導入企画

70

98

2003

阪急交通社

84

96

1910

三井物産㈱

70

96

2004

航空機乗員養成所

53

92

1909

富士通電子交換機接続

77

85

1909

キャノンパソコン販売店

48

76

1910

日本IBM

54

71

1911

航空機騒音証明

60

68

1908

統計・需要予測

38

64

1912

国内&海外出張

47

63

1909

顧客:成田エアポートレストハウス

51

62

1909

ホテルフロント会計

45

61

1909

顧客:札幌国際ゲストハウス

47

57

1909

マイクロコンピユータ・アラカルト

27

57

1911

パソコン、ソニーからキャノンへ

35

46

1908

専門学校航空輸送学科

34

45

1911

ソアレックス㈱

34

40

1910

西鉄航空

34

40

1909

トタルコンピユーターシステムTHCS

34

38

1911

航空貨物専門誌SPACE

29

37

1911

東京第一ホテル福岡

35

37

2005

貨物業務係

24

36

1910

米国APL汽船

31

36

1910

三井航空

32

35

1909

顧客:アリマックスホテル渋谷

32

35

1911

顧客:ホテルサン沖縄

26

33

2003

海外旅行代理店業務

23

33

2004

戦闘機飛燕の改装整備

20

32

1911

自分史永和会

24

31

1910

極東航空

27

31

2003

物流商品

20

30

1911

顧客:とみんリース

29

30

1910

航空会社フライング・タイガー

18

30

2002

高少卒就職

15

29

1911

日本航空新聞

17

29

1911

ゲームの理論

20

27

1909

利益差異分析

20

27

1910

日本航空

19

26

2004

石垣島へフロント会計導入

18

25

1912

晴海国際見本市

13

25

1911

航空会社との情報交換

20

25

1910

富士通小型電算機

20

23

2004

リース事業

14

22

1910

近鉄航空

20

22

1912

英語に強いホテル

17

20

2004

イントロダクシヨン

12

19

2004

英語翻訳

11

19

2003

音声朗読

10

19

2004

東京第一ホテルグアム

12

16

2002

米空軍憲兵隊

12

16

1911

顧客:成田ウインズホテル

14

15

2005

JAL沖縄線招待飛行

9

13

2004

同期生就職先

9

13

2003

肩書不要の社員

12

13

1911

貨物機で海外出張

10

13

2005

オペレーシヨンズ・リサーチ手法

10

12

2004

期日管理経理システム

10

12

2003

西独航空会社よりの受注

8

10

1911

計算センター

7

10

1911

坂本システム研究所

9

10

合計

3511

5078

2008年10月18日 (土)

RF1 ブログ内容の評価 1 各プロバイダーの評価順位

自分史永和会という「パソコン同好会」において、平成128月より自分史の研究を行っている。後期高齢者というには75歳からで81歳となると、新しいものにチャレンジをしようとする意欲はなくなるが、健康を維持するには、目標設定というには不可欠である。

自分史研究会は5名程度の会員で、毎月研究会を開催している。会員の一人、高橋直之氏がプログなるものを紹介した。昨年(平成19)8月より、私はブログに自分史関係記事をアップロードした。ホームページには「太平洋戦争と戦後の情報処理実務体験記」というタイトルで8年前よりアップロードしていたので、文章の作成に必要な資料は整理されていた。98メガバイトに文章と画像とを保存していた。
 
昨年8月初めより、LIVEDOORの無料プログに「開発業務とOR」と題して20頁程度アップロードした。無料ブログにはブロック数が1個しか登録できないため、昨年8月中旬より、ニフテイの無料ブログに「新規業務へのチャレンジ」と題して、アップロードまた、また、今年の8月よりBASIC ブログに「新規業務への研究」と題してアップロードした。現在の時点(平成201018)で、ニフテイのブログには合計で808件の登録を行った。
 ブログというのは、現在は初期段階であり、今後、どのように発展してゆくかを研究するため、私自身が入手できる範囲での資料から検討することにした。
 
プロバイダーで、GoogleYahoo, Nifty, Livedoor, Gooそれに富士通の6社で、私の名前を検索キーとすると何件が検索され、どのような内容がプロバイダーの評価が高いかを検討することにした。内容を分析した結果、GoogleYahoo以外のプロバイダーの検索結果は、類似しているため、これをまとめて、日本四社と仮称することにした。

寄稿者の名前での検索

プロバイダー

Google

Yahoo

日系4

検索該当件数

217

82

8

検索話題

検索順位

検索順位

検索順位

1

はじめに  坂本清助

1

1

1

2

私のトピック その14 石垣島

2

2

3

画像自分史

2

4

坂本清助 自己紹介

3

5

坂本清助について「瞬!コレ by @Nifty  

3

6

瞬コレ 「坂本清助」 

4

7

新規業務へのチャレンジ 古希より

4

8

新規業務へのチャレンジ  ソフト開発備忘録

5

3

9

新規業務へのチャレンジ  電算機導入計画

6

 

4

10

高橋直之ホームページ 永福和泉区民センター祭り

7

5

5

他人の名前が検索された。

6

11

日本航空  航空貨物研究会セミナー

7

12

航空貨物 KISASI,JP検索

8

13

高橋直之ホームページ  200611LIVEDOOR

8

6

14

新規業務へのチャレンジ 80年マイコン国際会議

9

15

ICC-人気ブログ検索結果詳細(2008811日)

9

7

16

収益還元法とは?(みんなの知識(時事問題用語)

8

17

新規業務への研究  阪急、欧州中近東業務旅行

10

18

JALらビッツ Blog Keyword Visualizer

10

 

RF2 ブログ内容の評価 2 各社の特徴

投稿者の名前を検索キーにして、各プロバイダーの検索結果を表にしたのが下記である。

プロバイダー

Google

Yahoo

日系4

検索該当件数

217

82

8

   

検索話題

順位

順位

順位

1

はじめに  坂本清助

1

1

1

2

私のトピック その14 石垣島

2

2

3

画像自分史

2

4

坂本清助 自己紹介

3

5

坂本清助について「瞬!コレ by @Nifty  

3

6

瞬コレ 「坂本清助」 

4

7

新規業務へのチャレンジ 古希より

4

8

新規業務へのチャレンジ  ソフト開発備忘録

5

3

9

新規業務へのチャレンジ  電算機導入計画

6

 

4

10

高橋直之ホームページ 永福和泉区民センター祭

7

5

5

他人の名前が検索された。

6

11

日本航空  航空貨物研究会セミナー

7

12

航空貨物 KISASI,JP検索

8

13

高橋直之ホームページ  200611LIVEDOOR

8

6

14

新規業務へのチャレンジ 80年マイコン国際会議

9

15

ICC-人気ブログ検索結果(2008811日)

9

7

16

収益還元法とは?(みんなの知識(時事問題)

8

17

新規業務への研究  阪急、欧州中近東旅行

10

18

JALらビッツ Blog Keyword Visualizer

10

これは文章の投稿順序で、最後に[はじめに]という言葉があると、検索の最初の頁の1行目に、表示されているようである。
次に検索で情報価値が高いと判断されたのは、私のビッグニュース16話題では、[石垣島]であった。これを、新会社設立して最初の仕事が石垣島であり、パソコンのシステム開発の仕事が遠隔地からで、これにはパソコンと業務出張が絡んでおり、話題性があると判断されたようである。
 18の項目で、同じような題材であったのが、⑪日本航空 航空貨物研究会セミナー、⑫航空貨物KISASI.JP検索、⑱JALピッツ Blog Keywoord Visualizerである。これは日本航空㈱東京支店貨物部長が会長であった外国航空会社との貨物研究会で、パソコンを使用したデモを1961年に小石川の椿山荘ホテルで開催した記事であった。
 ⑰新規業務への研究というブログに、阪急交通社に在職中の昭和37年に、欧州、中近東業務出張を行い、国際的な紛争が多いレバノンの事情を紹介した旅行記であった。
 ⑯収益還元法とは?これは時事問題用語として
日系4社で取り上げられている。これは英語では、Discounted Cash Flowであり、外国の投資家ではよく知られている用語であった。
  新聞記事や論文などに紹介されている情報は、客観性があるものとして、検索では優先順位が高いようであった。

2008年10月19日 (日)

SF1 プロバイダー別検索前年対比 1 Googleの場合

平成19年8月より、ブログをはじめた。ニフテイの無料ブログでは、ブロックの名称を[新規業務へのチャレンジ]としているため、最初に[新規業務へのチャレンジ]で、Googleで検索、19年10月では該当件数が1070件で、20年10月では840000件であった。検索結果、順位はともに1位となっている。次に検索キーを2種類組み併せて、テストを行ったのが、下記の表である。
 このような方法で、Google,Yahoo,LIvedoorおよびNiftyの4社での検索を行い、最後に1年間における検索方法の変化を見ることにする。

GOOGLE

該当件数

順位

検索キー1

検索キー2

平成19

平成20

19

20

1

新規業務への

 10

10月

 チャレンジ

1070

840000

1

1

2

新規業務

チャレンジ

1390000

1470000

1

1

3

新規業務

航空貨物

231000

182000

1

1

4

新規業務

ホテル

247000

2120000

1

1

5

新規業務

海外旅行

2180000

717000

3

2

6

新規業務

自分史

19800

486000

1

1

7

新規業務

西南学院

21600

20200

1

1

8

新規業務

朝鮮戦争

25200

241000

1

1

9

航空貨物

チャレンジ

88500

84000

1

2

10

航空貨物

国際観光専門校

128000

77000

25

12

11

航空貨物

海外旅行

307000

223000

1

1

12

航空貨物

需要予測

126000

721000

8

9

13

西南学院

米軍民間検閲局

23

1540

1

1

14

西南学院

米空軍憲兵隊

157

1410

1

1

15

西南学院

短期大学英文科

62900

33200

3

36

16

青山学院大学

需要予測

830

52100

4

1

17

青山学院大学

公開講座

/

147100

5

98

18

太平洋戦争

自分史

/

561000

57

14

19

太平洋戦争

航空機乗員養成

/

13200

6

3

20

パソコン

ホテルサン沖縄

21800

425000

1

1

21

パソコン

成田レストハウス

536

12700

5

1

22

パソコン

新規業務

240000

2760000

1

2

23

パソコン

航空機騒音証明

/

169000

5

24

宴会会計

ウインズホテル

17

121000

1

1

25

阪急交通社

創立30

417

282

7

13

SF2 プロバイダー別検索前年対比 2 Yahooの場合

 前回に続いて、Yahooでの検索を行う。検索結果は下記のとおり。
かなり、検索方法が変化している。

Yahoo

該当件数

順位

検索キー1

検索キー2

平成19

平成20

19

20

1

新規業務への

 10

10月

 チャレンジ

78

3610000

1

1

2

新規業務

チャレンジ

89

8770

1

1

3

新規業務

航空貨物

17

829

1

4

4

新規業務

ホテル

79

20900

1

2