EZ1 キャノンパソコン販売 1 リース会社にアプローチ
五十年七月にキャノン販売㈱の販売店となった。ソニーはマイクロ・コンピユータの製造から撤収したため、顧客から後続機種を紹介してほしいという希望があった場合は、ソニーサービス㈱の嘱託である私に引き継がれることになる。
最初に紹介された会社はパイオニア㈱、日本ランディック㈱、(財)日本予防医学研究所などがあった。日本ランディックにおいては賃貸マンシヨンの収支計画、リース採算などのプログラムの作成を行った。この会社は新橋にあり、三井物産㈱本店の隣であった。
永妻寿氏は仙台航空機乗員養成所の一期生でパイロットであったが、日本航空㈱で電算機課長をしておられた。同じコンピユータの仕事をされていたため阪急在職中、日本航空本社に用があるときは、しばしば永妻氏を訪れていた。四十四年春、私は阪急を依願退職したが、永妻氏も同じころ、日本航空を依願退職され、渋谷の道玄坂でシステム開発㈱を設立され、代表取締役となられた。
永妻氏の紹介でとみん銀行の子会社である「とみんリース」に五十二年四月にキャノン・パーソナル・コンピユータを納入し、またリース採算計算、リース事業経理システム、償却資産申告、保険料計算、リース料請求システムなどを開発するようになった。
当時、フロッピィ・デイスク装置は一台一○○万円で、IBMゴルフボールタイププリンタは一台の価格は一二○万円であった。経理業務を行う場合のパソコン一セット価格は約四百三十万円であった。ソフトの開発では、同じような機種を自宅に設置しておく必要があった。
プログラムを作成スル機械を設置していたため、キャノン販売㈱から、また同業のキャノンや販売店からプログラム作成作業を依頼されるケースが発生した。
在庫管理での部品展開、売掛管理、経営コンサルタントの部門別経理、抵当証券の経理、国家公務員共済病院連合会の病院医療経理などの開発があり、経理システムが業務の主流になった。
